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センター設立60周年記念出版物(Slavic Eurasian Studies, No. 32)の刊行

 スラブ・ユーラシア研究センターは2015年に設立60周年を迎えました。12月10~11日に記念の国際シンポジウムを開催し,創成期を中心にセンターの歴史を振返りました。この度,シンポジウムの報告などを収録したSlavic Eurasian Studies (No. 32)がSRC at 60: New Historical Materials and Perspectivesと題して刊行されました。その目次は,最後に示したURLにあります。
 第1部には,センターのディビッド・ウルフと地田徹朗(現在は名古屋外国語大学准教授)の調査によって見出されたセンターの起源に関する資料が掲載されています。センターの国境を越える起源,ロックフェラー財団のファーズ博士やロックフェラー3世の札幌訪問,北大の教授の訪米など,多くの興味深い詳細な情報が得られています。こうした交流を通じて,1951年9月22日に北大がロックフェラー財団に対して「スラヴ研究所」への支援を申請することになったのでした。
 第2部には,国際シンポジウムで登壇されたセンターの名誉研究員である秋月孝子,長谷川毅,伊東孝之の3氏の報告が掲載されています。秋月氏と伊東氏は,センターがスラブ・ユーラシア地域研究の全国的な拠点となるうえで,蔵書が重要な役割を果たしたことや,1990年に全国共同利用施設になるまでの道のりについて記しています。伊東氏と長谷川氏のエッセイは,冷戦の最後の時期,ゴルバチョフのペレストロイカの時期におけるセンターの国際化の進展をパラレルにあるいは逆説的に描いています。第1部が1940年代と50年代に焦点を当てたとすると,第2部は,60年代から80年代までを回想するものとなっています。
 第3部には,国際シンポジウムの際に行われた若手と中堅,外国人と日本人の研究者によるラウンドテーブルでの議論が再現されています。そこでは,近年,とくに幕張のICCEESの後に顕在化してきたスラブ・ユーラシア研究の変化について議論されています。中国,韓国,ロシアからの我々の研究協力者は,それぞれの国における変化や日本の学界との個人あるいは組織としての結び付きについて語っています。 
 センター自体では,2000年代の大きな変化として,2000年における大学院教育の開始と2014年におけるスラブ研究センターからスラブ・ユーラシア研究センターへの改称がありました。大学院については,センターはこの17年間に博士号を21人,修士号を73人に授与することができました。こうしたセンターの大学院修了者が国内や海外の大学その他の研究機関,マスメディアや民間の会社で活躍しています。日本における大学院をめぐる状況が全般的に芳しくないこともあって,センターの大学院生の数はこのところ増えてはいませんが,卒業生の活躍によってセンターの影響は世界的に高まっていると言えるでしょう。

[ウルフ,田畑]
[ http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/publish/no32_ses/index.html

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