< !-- Google Tag Manager (noscript) --> [書評論文] 山村理人『ロシアの土地改革:1989〜1996年』*を読む

copyright (C) 1999 by
Slavic Research Center,Hokkaido University.
All rights reserved.


わが国におけるソ連・ロシア農業研究は、現在も1991年のソ連崩壊前後から始まった研究条件の変化を生かし、新たな著作を生み出している。このような傾向は、かつてと比較ならないほどのアルヒーフ史料利用の可能性を得た歴史研究の分野において著しく、より詳細な分析、見逃されてきた史実の発掘、新たな視角からの問題の把握が試みられている(1)

研究条件の変化は、現状分析に対しても大きな恩恵をもたらした。その最大のものは、ロシア農業研究においても、「フィールド・ワーク」の可能性が与えられたことである。周知のように、ソ連においては厳格なヴィザ制度によって、外国人に対して農村は事実上閉ざされていた。著者は「1980年代後半には、何度となくロシアの農村を訪れてはいたが、いずれも、有名な農場での幹部たちとの会合とか、農業機関での役人へのインタヴューといったレベルのものにとどまっていた」(はしがきiii)と記しているが、これは当時望みうる最大限の農村へのアクセスであったのである(2)

だが、著者はそれに満足することなく、「ペレストロイカ」「グラスノスチ」といった時代の援護射撃をうけつつ、ロシア農村に分け入った。そして、ソ連崩壊後にはより組織な形でフィールド・ワークを継続したのである。本書は、このようなフィールド・ワークで得られた貴重なデータを一つの核として、1989〜1996年のロシアの農業改革を論じたものである。本書は、現地調査の広範な利用等の画期的な研究スタイルを提示した記念碑的存在であるとともに、内容的にも最良のものを提供している。

本書は、はしがきと9つの章から構成されている。これらを、若干強引に整理を行なうと、第1章では土地改革の前史が、第2章では「農民経営」が、第3章〜第6章と第9章では「農業企業」が、第7章・第8章では「住民の個人副業経営」が主に論じられていると見ることができる。なお、ここでの「農民経営」「農業企業」「住民の個人副業経営」とは、現在のロシアで標準的に用いられている経営カテゴリーを指す。一方、 著者は、本書において、これとは異なった分類を採用している(はしがきiv)。この点は、極めて重要な問題提起を含んでいると思われるので、ここでは単なる指摘にとどめ、後ほど改めて論ずることにする。

さて、アルヒーフの公開は、歴史研究に新たな可能性を与え、その展開を促した。が同時に、それは「憂鬱な状況」と呼称されるところの弊害をも生み出した。すなわち、「以前から分かり切っていたことを確認して、さも新発見であるかのように装う」「俗悪な『きわもの』」の横行である(3)。もちろん、本書は、このような欠点とは無縁のものである。だが、フィールド・ワークを用いた論文の宿命として、調査対象への過度の埋没、特殊事例の一般化等がないかに関して文脈に則してチェックされることは、免れないところであろう。

そこで本稿では、「第2章 ロシアの農民経営(フェルメル)」を対象として、ひとまずこの問題を検討し、次に個々の問題を論じていきたい。第2章をとりあげるのは、 同章は分量的にも本書の中核部門を構成していること、内容的にも1994年の交易条件の悪化、必要以上の農業への保護・支持削減による生産への悪影響といった本書を貫く重要な主張が提示されていること、フィールド・ワークで採取されたデータがまさに論理展開の中核を成していることによる。

第2章では、農民経営の定義、土地取得にかかわる問題、その経営者の出身階層といった事項がまず検討される。続いて、農民経営の効率が集団経営との比較の上で、検討されるのだが、以降の議論では、プスコフ州プィターロヴォ地区のデータが主に用いられることになる。

最初に検討されるのは、生産性の比較である。ここでは、農民経営は畜産部門において「集団経営労働者に比べての長時間の労働と綿密な飼養管理によって」高い効率が達成されていること、一方で耕種部門においては大差のないことが明らかにされる。そして、「この事実は、畜産中心の非黒土地帯で農民経営を大量に創り出せば経済的効果が大きいと言う土地改革の最初の頃に主張された仮説を一面で裏付けるものである(強調・引用者。以下同)」と小括する(60頁)。

次に検討されるのは、収益性である。ここでは、農民経営と集団経営には格別の差がないことがまず示される。だか、これは「見かけ上」のものであり、その多くは農民経営が集団経営を経由し生産物を販売したため、莫大な中間マージンを取られたがためであることが明らかにされる。そして、この点を修正すると収益性は37%から169%へと跳ね上がり、「プィ ターロヴォ地区の農民経営なみの効率ならば、消費者価格を大幅に引き上げることなく、価格補助金を廃止することも可能になったということになる」と結ぶ(62頁)。

そして、土地の利用度、農業機械・資材の確保の問題、住居、生活環境の整備の問題が順に検討され、農民経営の正常な運営のためには、土地取得以外の問題が山積していること、むしろそちらの方が本質的な問題であること、にもかかわらず期待された政府支援は先細りとなっていったことが示される。同時に、この脈絡の中で次第に、プィターロヴォ地区がロシアにおいて農民経営の創出に有利な条件が揃っていた例外的な地区であることが明らかにされていく。そして、1994年には、同地区の農民経営は、急激な交易条件の悪化をうけ、「正常な商品生産としては、もはや成立していなかった」という状態になったのである(93頁)。

さて、いささか紹介が長くなったが、本章における論理の組み立てを改めて模式的に示してみよう。それは、「プィターロヴォ地区の分析によると、農民経営は目的を達したかに見える。だが、プィターロヴォ地区は例外的に恵まれた地区であって、同じ成果はロシア全体では期待できない。しかも、 プィターロヴォ地区の農民経営ですら1994年以降には商品生産者たることが不可能になった」になろうかと思われる。すなわち、途中までは「調査対象への過度の埋没」を装いつつ、後半では「特殊事例」であることを最大限に利用した論証を行っているのである。その処理はまさに、 スリリングな(ある意味では「辛辣な」)展開となっており、同時に対象事例を全体の中で的確に位置づけていることを示しているといえよう。

個々の論点に移ろう。まずは、経営カテゴリー分類の問題である。すでに記したように、著者は、現在のロシアの農業経営を、現在の統計等で標準的にもちいられる区分ム「農業企業」「住民の個人副業経営」「農民経営」ムではなく、「住民の個人副業経営」を「住宅付属地経営」と「市民菜園」に分けた合計四つのカテゴリーに分類している。

この分類の意図は、第7章で明らかにされている。ここでは、住宅地付属地経営は、農村に組み込まれた一種の「安定装置」であり、それによって農村住民は、農業企業の経営状況の悪化により現金収入がたたれようとも、「とりあえずは食べていくことができる」(221頁)。この意味では、集団経営は住宅地付属地経営に依存している。一方、住宅地付属地経営も集団経営から様々な援助・支援があって初めて成立するという性格をもっている。すなわち、住宅付属地経営は、集団経営と相互依存した融合的な存在なのである。これに対して、市民菜園にはこのような関係は欠如しているのである。

さらに、第9章においては、「今後、かなりの長期間にわたって、ロシア農村の中心的位置」を占めるものは「農業企業」であり、その「農業企業」とは「集団的経営と個人的経営の融合物」である(255頁)ともしている。となれば、著者は、ロシアの農業経営カテゴリーを「農業企業(集団経営と住宅付属地経営の融合物)」「市民菜園」「農民経営」の3つとして捉え、その実態に則して用語法も変えることを提起しているのではないか。以上を整理すると、表のようになる。

ロシアの統計区分 本書の区分 労働形態 経営の自立度 著者の提起( ? )
農業企業 「農業企業」 「集団経営」 相互依存 農業企業
住民の
個人副業経営
「住宅付属地経営」 個人的 相互依存
「市民菜園」 個人的 独立 市民菜園
農民経営 「農民経営」 個人的 独立 農民経営

もちろん、ソ連・ロシア農業における住宅付属地経営の重要性、その集団経営との相互依存的な関係は、古くから指摘され、すでに多くの研究成果が発表されている。例えば、1958年という早い時点において、丸毛忍は「コルホーズの内部には社会主義的な生産関と小農的な生産関係とがまさに二重構造をなして存在して」おり、この「二重構造という視角からコルホーズ農業を把えることによって、その現段階における本質と機能はもつともよく明らかにされる」と論じている(4)。従って、本書で展開されている集団労働と個人労働の融合体としての農業企業という論点自体は、さほど目新しいものではない。

だが、従来の研究は、ソ連・ロシアで採用されている経営カテゴリーには、手を触れずに論議を進めてきた。そして、このような議論の組み立ては、結果として「ロシアの農村における関係を個人経営と集団経営という対立概念の枠」による「非常にミスリーディングな捉え方」(235頁)の温床を残してしまったとも言える。これに対して、著者は、評者が知る限りで初めて、経営カテゴリーのそのものを実態に則して改訂し、その下で議論を展開したのである。いわば誤解をその温床ごと根絶する方法を示したのであり、これは新しい試みとして注目に値する。

次に第7章の穀物生産の分析に関して一言。著者は、1994〜1996年の穀物生産の動向を作付面積と収量の両面から分析し、両者とも減少していることを指摘する。そして、「作付面積と収量は互いに独立の変数ではなく、作付面積が減ると収量が増大するはず」とする。何故なら、面積が減少しても、穀物生産の限界地的なところが脱落して集約化が進むからである(ソ連においても1980年代前半の「農業の集約化」により、まさにこのような過程が観察されている)。従って、現在の傾向は「異常な変化」であり、その主因は「農業の交易条件の顕著な低下」にあると結論する(208〜209頁)。

相互に関連する変数としての作付面積と収量という指摘は、極めて重要なものであり、通常では完全に正しい。ただし、ソヴィエト期の集約化および体制移行がそれに及ぼした影響に関しては、若干の注釈をつけた方がより親切であったような気がする(もちろん本書には括弧付きで「農業の集約化」と記されており、それが特殊な意味であることは示されている)。

周知のように、ブレジネフ以降、農業は工業化のための資金源ではなく、それ自体が投資・保護の対象となった。その下で、農業生産者に対しては様々な優遇措置・補助金が支給されるようになった。例えば、農村に対しては特恵価格で生産財が供給され、その価格は「しばしば原価よりも低かった」(!)という(5)

一般に集約化は、資材投入の増加によって達成されるから、ソヴィエト期において高い集約度を誇っていた経営ほど、このような「歪んだ価格」の恩恵を受けていたことになる。すなわち、かつての「優良経営」ほど、経済体制移行により大きな影響を受け、質的な指標はより低下したと考えられる。

例をあげよう。クラスノダール地方は、1980年代に集約的テクノロジーが導入され、ソ連としては極めて高い収量が達成されていた地域である。集約的テクノロジーのショーウィンドウともいえる地域の実験経営では、ヘクタール当たり60〜70ツェントネルの穀物が安定的に収穫されていた。だが、体制移行にともなって、集約的テクノロジーを維持してきた条件は失われた。化学肥料価格は高騰し、農業生産者は肥料代を節約するのか(この際、収量は減少する)、それとも以前の収量を維持するため極端に高価になった肥料投入を続けるかの選択を強いられた。そして、大部分は前者を選択した。州農業・食料部長の言を借りれば、「かつての農耕の高い質は、上から植えつけられた。今日、それは作動していない」ということになったのである(6)

このように、穀物生産にみられるような質的指標と量的指標の同時低下 (7) は、「歪んだ価格」の是正という側面も含んでおり、移行期経済の一つの特色として把握可能である。もちろん、このような状況を引き起こした直接の要因は、「肥料価格の高騰」であり、広い意味では「交易条件の極端な悪化」 (8) に含まれるとも言えるのだが。

地方独自の農業政策の問題について。現在のロシアにおいて州・地方等の連邦構成主体は、しばしば独自の農業政策をとっている。農用地の売買についても、本書の対象期外にはなるが、その自由化を連邦に先だち実現したサラトフ州という著名な例がある。本書においてもこのことは、「再配分土地フォンド」形成におけるヴォルゴグラード方式の紹介、フィールド・ワークの対象地域の概要といったところで触れられてはいる。しかし、このような地方独自の農業政策の存在、その与える影響については、よりはっきりと言及した方がよかったのではないか。

最後にホーム・ページとの連動に関して。評者は、本稿冒頭で、本書の意義として「現地調査の広範な利用等の画期的な研究スタイル提示した」と記した。注意深い読者はすでにお気づきのことかと思われるが、本書はしがきには、以下のようにある。「本書では用いられなかった写真や地図などの資料、人物などのデータ、法律の原文資料等については、インターネットのホーム・ページで公開する予定である(URLは、http://src-home.slav.hokudai.ac.jp/Lreform.html) 」。すなわち、本書は、インターネットという新しい媒体の利用を前提として著されているのである。これは管見のかぎりでは、わが国のソ連・ロシア農業研究史上初めての試みであり、本書はこの意味でも記念碑的作品である。

さて、このような新しい発表形態は様々なメリットをもっている(なお、1998年8月末時点で同ホーム・ページは構築中のため、以下の叙述は、推測による部分が多い)。写真・地図は、時として文章を上回る事実を教えてくれる。とりわけ、本書においては地図が効果的に利用されており、それが追加されることは極めて大きな期待を抱かせる。法律の原文資料等の公開も効果が大きい。それは、確実に煩雑な注記を減らしくれよう。また、同時に注よりも詳細な検証の機会が与えられるわけだから、後続研究にとっても大いに参考になろう。

だが同時にホーム・ページとの連動は、新たな手法であるが故の不確定性をも抱えている。端的に言えば、いつまでホーム・ページにアクセスできるか保障の限りでない、という点である。従来型の紙媒体であれば、絶版となっても図書館に行けば、「完全な形」での検討が可能である。だが、ホーム・ページとの連動を前提とした著作の場合には、ホーム・ページへのアクセスができなくなった場合、「完全な形」での利用の機会は失われてしまうことになる。本書が提示したこの手法は、今後増えることはあっても決して減ることはないだろう。本書は、「学術サイトの保全」という問題も同時に提起しているように思われる。

本書を読むと、自然とソヴィエト期の関連する事例が思い起こされ、それとの対照で複雑な心境に陥らずにはいられなかった。

本書146頁には、コルホーズ解散にあたって、土地を従業員の間で徹底的に分割してしまった『ペルヴォエ・マーヤ』の地図が掲載されている。この結果、「10ヘクタールにも満たない各人の所有地が細長い地上の形で複雑に入り組んだ形」が形成されたのである。形状だけをとると、これはかつての共同体的土地利用に酷似しており、衝撃的ですらある。

だが、著者は、このような場合には、土地の多くが所有者によって利用されず、賃貸されているという(148頁)。ここでは、土地をその正常な利用に障害を生むほどに細分化すると、土地流動が発生し、その結果、最適規模の経営が生まれる可能性が示唆されている。

これに対して、1950〜1960年代には、「科学的に根拠をもつ」経営の「最適規模」が再三提起され、それに基づいて経営の再編成が広範に展開した。だが、その方向は基本的に大規模化であり、しばしば経営管理不能なギガントが生み出された。これらギガントは後に再び分割された。結果として、「最適規模」の追求が経営の効率化を阻害するということになっていたのである。

農場指導者の重要性に関して。本書では、農場指導者の演ずる役割が再三にわたり、強調されている。農場の改革は、事実上、指導者のイニシアチヴによってのみ行なわれ、その成果も指導者の力量によって大きく左右されるというのである。このことは、ソヴィエト期の「カードルが全てを決定する」というスローガンを想起させる。そして、このスローガンは、一人当たり食肉生産でアメリカに追いつくという非現実的な目標の達成のためにフルシチョフが好んで提唱したものでもあった。

さて、ニジュニイ・ノヴゴロドの実験の目的の一つは、オークションを通じて「意欲・能力のある経営者の手に必要な土地や資産を集中する」ことである(176頁)。だが、「必要な土地や資産を集中する」方法は、理論的に考えればオークションだけに限らないし、実際にも別の方法が取られている。

カザフスタンでは、1994年3月9日の大統領令により、当該経営において20年以上の職歴をもつソフホーズ所長に対して、資産の10%を無償で譲渡するという処置がとられている。また、 1997年12月の共和国農工コンプレックス活動家会議以降、「強力な所有者」「真の所有者」の形成というスローガンの下、この処置は拡大される方向にある (9)。これはいわば、ソフホーズから「資本家的経営」への直接的転化を目指したものであり、 ニジュニイ・ノヴゴロドの実験との対比で、今後の動向が注目される。

さて、本書に触発されて、いささかとりとめのない連想を書き記してしまったが、これも偶然の産物ではなく、本書が歴史的背景の正確な把握を基礎にしているがためである。このことは、第1章のロシアにおける土地改革の特殊性の指摘において、端的に見ることができる。歴史認識が欠如した現状分析・翻訳が未だに横行している中、この点においても本書は際立っている。

冒頭にも記したように、本書は、ソ連崩壊後のロシア農業の改革と現状について、最良の内容を提供している。このため、本書は、今後長期間にわたって標準的な労作として利用されることは間違いない。本稿では、いくつかの要望も記したが、それはいわば「呉を得て蜀を望む」といった類のものである。また、本書のより正確な内容紹介は、他の書評を参照されることを読者に乞いたい (10)。なお、本書は、日本農業経済学会の1998年度学会賞を受賞している。