北方海域技術研究会 講演会報告
サハリン大陸棚における石油・天然ガスの開発と環境

*以下は北海道技術士センター・北方海域技術研究会講演会の
内容を加筆したものである。(2000年6月1日現在)


はじめに

 サハリン島北東部大陸棚で石油・天然ガス探鉱が始まってから、すでに4分の1世紀が過ぎている。1973年秋のオイルショックを契機として日本政府はエネルギー供給源の多様化の道を模索し、田中首相(当時)の訪ソをきっかけにシベリア開発の熱が一気に高まった。シベリアにおける資源開発型プロジェクトが幾つか実現し、そのひとつとしてサハリン大陸棚石油・天然ガス探鉱・開発プロジェクトが誕生したのである。探鉱の結果、1970年代後半にはサハリン北東部大陸棚においてオドプト鉱床およびチャイウォ鉱床が発見された。その後開発に移行するはずであったが、1980年代に入ると国際石油価格が低迷し、80年代半ばに大幅な下落を経験し、サハリンプロジェクトは採算に乗りにくくなった。開発に移行できないまま90年代半ばに至るまで事実上棚上げ状態が続いたのである。サハリン北東部の海洋開発でロシア側が得たものは何であったのだろうか。それは技術と資本である。当時、中央集権的な社会主義経済の下では、西側からの資本と技術の自由な移転は制限されていた。陸上の石油・ガス開発に限界を感じていたソ連政府は、埋蔵量が豊かとみられている海洋開発に目を向けたのである。当時、陸上の石油・ガス開発では豊かな経験と技術力と人材を抱えてきたソ連ではあったが、カスピ海の陸続きの地域を除けば本格的な海洋開発の経験は皆無であった。基礎力の強いソ連は西側からの海洋掘削設備・技術および資金を導入することによって、たちまちのうちに海洋掘削リグの製造技術を吸収した。1994年までにサハリン北東部大陸棚では合計8鉱床が発見されており、このうちソ連が独自で発見したのは6鉱床である。その後、これら鉱床の一部は国際入札にかけられサハリン〜U、V、W、X、Yと呼ばれるプロジェクトに成長することになる。

 以下、今脚光を浴びている海洋のプロジェクトを対象に開発の現状を紹介し、開発の利点と問題点を明らかにしたい。

1)サハリン〜Tの現状と計画

設立経緯

 サハリン〜Tプロジェクトは1975年に日ソ間でシベリア開発協力プロジェクトの一環として成立したサハリン大陸棚石油・天然ガス探鉱・開発プロジェクトをルーツとしている。ソ連側との間に生産分与契約を結んだ時点だけをとれば、サハリン〜Uより遅れているが、最初に大陸棚探鉱に着手しているために、サハリン〜Tと呼ばれるようになった。このプロジェクトによって1975〜1983年の8年間に7構造、25坑、5万8,836mが掘削され、1977年にはオドプト鉱床、1979年にはチャイウォ鉱床が発見されたi。その後、1983年12月の日ソ首脳協議でサハリンプロジェクトの探鉱終了が確認され、開発段階に移行することとなった。しかし、1980年代に入って国際石油価格が低迷し、80年代半ばには暴落という事態を迎えることになり、このプロジェクトの採算の見通しがたたなくなり、開発に移行できないまま、事実上冬眠状態が続いたのである。この間、ロシア側は独自で発見したルンスコエ鉱床(1984年発見)およびピリトゥン・アストフスコエ鉱床(1986年発見)を対象に共同事業を進めることを米国・マグダーモット社に持ち掛けることになる。また、日本側が一度は掘削に挑戦して埋蔵量を発見できなかったアルクトン・ダギ鉱床について、ロシア側は1989年に掘り当てたのであったii

 サハリン〜Uの急展開に刺激されたサハリン〜Tを動かすSODECO(サハリン石油開発協力株式会社)は、膨大な埋蔵量を見込めるアルクトゥン・ダギ鉱床を新たに開発鉱区に追加することによって採算性を高めようとしてロシア側と交渉に入った。また、石油メジャーの米国・エクソン社をオペレーターとして取り込むことによってプロジェクトを推進させようと試みた。その結果、1993年11月になってこの二つの重要な問題が決着したのである。

 1993年12月からSODECO、エクソンは予備的な企業化調査として技術経済計算(Tekhniko-ekonomicheskii raschet)を行い、この成果はサハリン州行政府およびモスクワの専門委員会で検討され、1994年9月になって承認された。SODECOは新たな開発事業に対応するために、これまでの会社を清算し、サハリン石油ガス開発梶i新SOCECO)を設立させたiii。1995年5月、ロシア側の石油会社ロスネフチとその傘下のサハリンモルチェフチェガス(Sakhalinmorneftegaz、略称SMNG)とが加わり、4社によるコンソーシアムが形成された。同年6月30日には開発側とロシア政府およびサハリン州行政府との間に生産分与協定(PSA)が調印され、ロシア連邦の法律である生産分与法が発効するのを待って、サハリン〜Tがいよいよ再スタートすることになった。1996年6月10日にはコメンセメント・デートが宣言され、埋蔵量の評価作業が開始された。

事業推進体

 事業主体はコンソーシアムを形成している4社である。コンソーシアムへの出資比率は、エクソンの100%子会社Exxon Neftegaz Ltd.(米国)が30%、SODECO(日本)が30%、ロスネフチ(ロシア)が17%、ロスネフチの傘下でサハリン州最大の石油会社であるSMNGが23%となっており、ロシアのシェアは40%に達している。

 サハリン〜Uと異なる点は、サハリン〜Tは統一会社を設置していないことである。また、ロシア側が開発事業の推進体に加わっている点でもサハリン〜Uとは所有形態を異にしている。

開発対象鉱区と埋蔵量

 サハリン〜Tはチャイウォ鉱床、オドプト鉱床およびアルクトゥン・ダギ鉱床を開発対象にしている。

 チャイウォ鉱床の可採埋蔵量は、石油1,700万t、天然ガス970億m3、コンデンセート600万t、オドプト鉱床のそれは石油2,800万t、天然ガス410億m3、コンデンセート100万tと石油優勢の鉱床である。これら二つの鉱床の埋蔵量評価がかなり進んでいるのに対し、1993年に付け加えられたアルクトゥン・ダギ鉱床は地質構造が複雑で、まだ精査されていない。ただ、この鉱床の埋蔵量は非常に大きいと予想されており、予想可採埋蔵量は石油2億4,500万t、天然ガス2,870億m3、コンデンセート2,600万tとチャイウォやオドプトに比べれば格段に大きいものと期待されている。石油の性状のデータはこれまでのところ明らかにされていない。

開発の推移と計画

 開発は2段階に分かれており、計画では第一段階としてアルクトゥン・ダギ鉱床の生産開始が2003年に予定され、埋蔵量の評価作業が開始された。アルクトゥン・ダギ鉱床では生産分与協定が締結されるまでにロシア側によってすでに4坑が掘削されており、1996〜1997年の2年間にさらに4坑(Dagi-5、Dagi-6、Dagi-7、Dagi-8)が掘削された。このうちDagi-5を除く3坑は1997年7月から10月半ばの掘削時期に作業が行われ、Dagi-7およびDagi-8では埋蔵量が確認された。しかし、Dagi-6は北部では埋蔵量がないことが判明した。Dagi-6の分析をさらに進める必要があるが、南部のダギ鉱区と北部のアルクトゥン鉱区との間(附属資料 図-3、斜線部分)に埋蔵しているとみられていた原油は今のところ予想以上に少ない。

 一方、チャイウォ鉱床では1997年に三次元地震探鉱が実施され、大きな石油埋蔵量が期待されていた。この鉱床の評価のために1998年にChaivo-6坑の掘削が予定された。しかし、掘削くずによる海洋汚染の可能性が指摘され、評価作業を停止させざるをえなくなった。開発側の努力で関係省庁の同意は得られたもの、国家環境委員会は拒否権を発動し、開発にストップをかけたのである。その理由として、1998年7月31日付け「ロシア連邦の内海水、領海および境界に関する」連邦法第33条では、「我が国の領海水内で掘削屑を投棄してはならない」とされていることを根拠にしている。その結果、開発側は夏の間に掘削を行う契約を業者と結んでいたために大きな損害を蒙った。

開発側の投資額

 1996年 4,100万ドル
 1997年 1億7,600万ドル

2000年以降の計画

 1999年末になって連邦組織の全権とサハリン州知事との間でやっと2000年の作業計画と予算が承認された。掘削屑の再圧入という方法を採用することを条件にChaivo-6の掘削が認められ、2000年6月か7月に掘削作業を再開することになった。この1年余の作業停止で300万ドルの損失をもたらしたという(『ロシア新聞』2000.5.6)。

 開発の第2段階では開発対象の3鉱区の埋蔵量確認が重要であり、チャイウォ鉱床の埋蔵量は5坑の掘削によって精査されているが、アルクトゥン・ダギ鉱床とオドプト鉱床についてはさらに埋蔵量の評価が必要である。

パイプライン建設計画

 サハリン〜Tで開発された石油、天然ガスを消費地にどのような方法で輸送するかはまだはっきりしていない。サハリン〜UのようにLNGにして消費地に供給するという案は今のところ全く検討されず、日本および中国向けに天然ガスをパイプラインで供給するという案の方が具体性を帯びている。とくに、日本向け天然ガスパイプライン建設構想については、輸送距離が3000km以内であればパイプライン輸送の方が経済的に有利であるという考え方もあり、新たに設立されたジャパン・サハリン・パイプライン・フィジビリティ・スタディ社(日本サハリンパイプライン調査会社)は、1995年5月に、ロシア〜日本間ガスパイプラインのPRE-FS調査を開始した。この調査会社は、日本石油資源開発(株)、伊藤忠(株)、丸紅(株)の出資による会社である。調査にあたってはエクソン社も資金を負担している。輸送ルートとしてはサハリン島から稚内沖を経由し、石狩湾まで沿岸海底を通過し、石狩湾から勇払まで陸上のパイプラインで南下し、その先を日本海ルートと太平洋ルートの二つのバリエーションを検討することになり、1999年から日本海ルートの調査を開始し、2000年には太平洋ルートの調査を行うことになっている。


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