北方海域技術研究会 講演会報告
サハリン大陸棚における石油・天然ガスの開発と環境

*以下は北海道技術士センター・北方海域技術研究会講演会の
内容を加筆したものである。(2000年6月1日現在)


2)サハリン〜Uの現状と計画

設立経緯

 海洋開発技術を身に付けたソ連は1984年から1986年にかけてサハリン島北東部大陸棚で独自に石油、ガス探鉱作業を実施し、幾つかの鉱床を発見した。このうち1984年発見のルンスコエ鉱床と1986年発見のピリトゥン・アストフスコエ鉱床を開発するために、1986年10月、三井物産船舶海洋部と米国マグダーモット社とがコンソーシアムを組んで、共同して開発することになった iv 。これがサハリン〜Uと呼ばれるプロジェクトの始まりである。当初、このプロジェクト推進に最も熱心だったのはマグダーモット社であり、ソ連はこの会社に対し、合弁企業を設立して共同で開発作業を進めることを提案してきていたのである。当時のソ連は社会主義体制下にあり、外国の投資による資源開発形態は、1987年成立の合弁企業法に基づく事業推進体の設立しか方法がなかった。しかし、合弁企業法は誕生したばかりであり、資源開発のように投資額が大きく、しかも長期にわたる開発形態の場合、リスクが大きい。とくに、当時、合弁企業による外国側の出資比率は49%以下に制限されており、経営の主体はソ連側にあったし、税制面でも若干の優遇措置があったものの、基本的には国内の税制が適用されて、資源開発のような巨額の投資では利益が見込めなかったのである。そこで登場してきたのは生産分与方式による資源開発形態であった。世界の石油メジャーを中心に生産分与方式による開発形態を採用するようにロシア側に熱心に働きかけることになる。

 1990年にはサハリン〜Uによる予備的な企業化調査が実施され、このプロジェクトの経済性が確認された。ソ連との交渉が進展し、随意契約による両鉱区の鉱業権取得の可能性が高まったために、オペレーターが必要になり、三井物産と関係の深いマラソン社が参加することになった。マグダーモット、三井、マラソンによるいわゆるMMMコンソーシアムの誕生である。ところが、その後ソ連は開発契約方針を突然変更し、随意契約をやめて国際入札の方針を打ち出してきたのである。これに応えて入札した6グループのなかからMMMグループが、1992年1月、企業化調査の権利を獲得し、同年2月はFSA(企業化調査協定)を調印した。この企業化調査は翌年春にロシア政府評価委員会によって承認された。1992年9月にはオランダ・シェル社と三菱商事がコンソーシアムに加わり、4MSコンソーシアムが結成された。1994年4月にはコンソーシアムの統一会社「サハリン・エナジー・インベストメント社Sakhalin Energy Investment Co.Ltd.(本社バミューダ)が設立され、鉱業権付与を前提とした生産分与契約交渉が開始された。1994年6月22日にはサハリン・エナジー社を事業推進体としてロシア連邦政府およびサハリン州行政府との間にワシントンで生産分与契約(PSC)が調印されたのである。ロシア側の生産分与法の成立を待って、契約が発効することになり、1996年5月21日には1996年6月15日をもって開発準備作業の義務発生日とするいわゆるコメンセメント・デートを宣言した。同日ロシア側はこれを受託し、PSC契約が発効して評価作業が開始されたのである。

事業推進体

 サハリン〜Uの事業推進体はサハリン・エナジー社であり、この会社はマラソンの子会社Marathon Sakhalin Limited(出資比率37.5%)、シェルのそれのShell Sakhalin Holdings(同25%)、三井物産のMitsui Sakhalin Holdings B.V.(25%)および三菱商事のDiamond Gas Sakhalin B.V.(12.5%)で構成され、開発、パイプライン建設などの上流部門はオペレーターとしてマラソン、LNGはシェル、ファイナンスは三井物産、マーケッティングは三井物産、三菱商事、シェルが担当することになっている v 。しかし、2000年6月1日、マラソンはサハリン〜Uから撤退することを発表した。マラソンの所有株はシェルに譲渡することになり、シェルの持ち株は62.5%に増大することになる。マラソンは譲渡の交換条件として、英シェトランド島西方およびメキシコ湾でのシェルの採掘権を獲得した vi

開発対象区と埋蔵量、性状

 開発対象鉱区は原油を主体とするピリトゥン・アストフスコエ鉱区とガスを主体とするルンスコエ鉱区の二つである。これらの推定可採埋蔵量は、サハリン・エナジー社によれば、原油約7.5億バレル、天然ガス約14兆立方フィート、コンデンセート約3億バレルと評価されている。投資額は約95億ドル。

 ピリトゥン・アストフスコエ鉱区の原油の性状(予想)は以下の通り。

■ API比重 :34-35  ■ リード蒸気圧(@100F psi) :3.50
■ 硫黄分 :0.2wt%  ■ 初留点-390F :42vol%
■ 流動点 :<-60F  ■ 390-650F :31vol%
■ 残留炭素 :<1wt%  ■ 650F+ :27vol%
■ 粘度(@50C) :<2cSt    

 サハリン・エナジー社の説明によれば、比重はミナス原油と同等、硫黄分はデュリ原油と同等、ナフテンとアロマ分が多く、リフォーマー/BTX原料に適している。流動点はマイナス(LPP原油)であるが、加熱すればHPP原油との混合蔵置は可能であるとみている。また、灯油の煙点、軽油のセタン価は低く、他の原油との混合処理が必要になる。

 ルンスコエ天然ガスの性状(予想)は以下の通り。

■ 比重 :0.60-0.65
■ メタン(CH4) :90-92vol%
■ プロパン+ブタン(C3+C4) :2.4-2.8vol%
■ 二酸化炭素(CO2) :0.3-1.4vol%
■ 熱量 :35,740-41,500kj/Nm3(8,534-9,910kcal/Nm3)
■ エタン(C2H6) :4.1-5.3vol%
■ コンデンセート(C5+) :0.3-0.9vol%
■ 窒素(N2) :0.1-1.8vol%

開発の推移と計画

 サハリン〜Uの開発スケジュールは早期原油開発の時期と全体開発の時期とに分かれている。早期原油開発の時期はさらに第1段階と第2段階に区分される。第1段階のピリトゥン・アストフスコエ鉱区における段階的な開発のコンセプトは、1996年7月24日の監督会議 vii で承認され、同年に埋蔵量評価作業が開始された。1996年11月には、サハリン・エナジー社とロシア連邦のアムール造船所(ハバロフスク地方、ニコラエフスク・ナ・アムーレ市)とはプラットフォーム「モリクパック」のスペーサー(4ブロック全体の大きさは110m x 110m、高さ15m、重量約1万3,600t)を建造する契約を結んだ。契約額は3,500万ドル。「モリクパック」はかつて石川島播磨重工(株)がアラスカ向けに建造したもので、水深の深いサハリン沖に合わせるためにスペーサーを組み立てる必要があった viii 。アムール川は浅瀬であるために、沿海地方のボリショイ・カーメニ市でスペーサーを「モリクパック」に装着する作業が行われ、1998年3月、さらに韓国のプサンで大宇(株)が船舶の艤装を行い、「モリクパック」は1998年8月末に北東部海岸から16km、水深30mの開発現場に到着した。第1段階ではこのプラットフォームから14坑井の掘削が予定されており、このうちNo.1〜No.12までの坑井は生産井(2,707m〜5,087m)、No.13〜No.14のそれはガス注入井(5,347m〜6,157m)となっている。

 1999年7月5日、アストフスコエ鉱区で原油の生産が開始され、同年9月21日に原油が初出荷された。可変式プラットフォーム「モリクパック」で採掘された原油は南方2kmの海底パイプライン ix を経由して、貯蔵船(オハ号、DWT 15万t)に積み込まれ、シャトルタンカー(DWT約9万t)で消費地に輸送される。貯蔵船「オハ」号はダブルハルの新造船であり、韓国で建造されている。

 1999年9月21日、この鉱区の「ヴィーチャーズ」と呼ばれる原油約8万1,000tが三井物産のチャーターしたタンカー「シーマスターSeamaster」で韓国ウルサンに輸送され、「SKコーポレーション」の製油所で精製される(『ソヴェツキー・サハリン』1999.9.23)。

原油貯蔵船の概要        輸送タンカーの概要
名称:オハOkha      名称:シーマスターSeamaster
分類:米国船舶航行局      船籍:リベリア
船籍:バハマ      トン数:101,134DWT
IMO番号:9180889      最長:約240m
喫水:16m      幅:約40m
重量トン:145,200t      船舶は日本で建造、
最長:274m      三井物産チャーター
建設年:1999    
構造:ダブルハル    
建設者:韓国大宇    

 ピリトゥン・アストフスコエ鉱区の第2段階は2003年を予定しており、この時期に原油回収方法として水攻法を導入することになっている。

 ピリトゥン・アストフスコエ鉱区の全体開発については、埋蔵量評価作業を2001年に終え、2001年から2004年にかけて2基のプラットフォームが据え付けられ、2004年から通年生産を行う計画である(石油・コンデンセートの日産量は約18万バレルを目標)。一方、天然ガスを埋蔵するルンスコエ鉱区の開発は、マーケットを確保することが先決であり、2001年までに需要家との契約を実現し、その後2005年までにプラットフォーム設置、パイプライン網建設、LNGプラント(年産約900万t)の建設を行い、2005年から輸出を開始する計画である。

 サハリン・エナジー社の全体開発構想によれば、ピリトゥン・アストフスコエ鉱区の合計3基のプラットフォームは海底パイプラインで接合され、「モリクパック」から陸上処理プラントまでの156kmの区間をガスパイプライン(口径24インチ、610mm)と原油パイプライン(口径18インチ、457mm)が並行して建設される。この鉱区より南の海岸線から13kmに位置するルンスコエ鉱区からは陸上処理プラントまでの61kmにガスパイプライン(42インチ、1,067m)とコンデンセートパイプライン(10インチ、273mm)が敷設される。

 カタングリに設置される陸上処理プラントからサハリン島を縦断して、南端のコルサコフ市近郊のプリゴロドノエ村まで延長625kmのガスパイプライン(42インチ、1,067mm)および原油パイプライン(20インチ、508mm)が敷設され、プリゴロドノエ村にはLNGプラントおよび原油輸出ターミナルが建設され、消費地に輸送されることになる。

 原油、天然ガスは将来的にはロシア国内にも供給されることになり、既存の原油および天然ガスパイプラインに並行した形で、ロシア極東地域の消費地までパイプラインが敷設されることになる。

開発側の投資額

 1996年 4,800万ドル
 1997年 2億6,000万ドル

2000年の計画

 2000年2月初にユジノ・サハリンスク市でサハリン〜Uの監視委員会が開催され、2000年の計画が承認された(『ソヴェツキー・サハリン』2000.2.4)。2000年の予算額は3億5,000万ドル、生産計画は1,200万バレルであり、生産開始の1999年の100万バレルに比べれば12倍となり、いよいよ生産が本格化することになる。そのためには「モリクパック」の生産井を完成させる必要があり、残り8本が掘削される予定である。シャトルタンカーの運航は21回を予定し、初回には韓国、次回は中国になっている。

 ピリトゥン鉱区では3本の評価井を掘削する計画である。その結果が良ければ、プラットフォーム1基、可能であれば2基の設置を決定する。


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