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第2回百瀬フェロー決まる

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北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター百瀬フェローシップ
第2回百瀬フェロー決まる


百瀬宏・津田塾大学名誉教授のご寄付に基づき設立された百瀬基金による、第2回百瀬フェローがこの度、決定しました。百瀬フェローシップは、スラブ・ユーラシア地域を研究するテニュアを目指しているポスドクの方を対象とした研究奨励制度ですが、研究業績も一定の水準を満たし、研究計画もまとまった応募者から、センターで慎重に審議した結果、重松尚さんに2022年10月より、百瀬フェローの称号が与えられます。ひきつづき、多くの方々の応募をお待ちしています。

 

 

選考講評


採択者:重松 尚(しげまつ・ひさし)
研究課題名:リトアニアのソ連編入過程における非共産主義者に関する研究


重松氏は国際政治史を専門とし、特に戦間期のリトアニア政治・外交史を軸に中東欧をカバーする業績を出されています。重松氏は、「1930年代末リトアニアにおける反ユダヤ主義」(『東欧史研究』)、「リトアニア臨時政府(1941年)」(橋本伸也編著『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題』ミネルヴァ書房)、「権威主義政権に対抗するファシズム体制構想」(『国際政治』)など、様々な角度からリトアニアの歴史の内実に切り込まれていますが、研究の白眉は「ファシズム」「ソ連」など外在的な政治のみに左右されない、リトアニア自身の主体的な力や運動の意義に光を当てた点にあります。この百瀬宏先生の「小国」研究を彷彿させる重松氏の研究アプローチとその実績が今回の選考の際、積極的な支援を受けた理由でした。また重松氏は、近年、デジタル・ヒューマニティーズの観点から、戦間期リトアニアの統計データーのデジタル化も積極的に進められており、データサイエンスと人文学をつなごうとする意欲ももたれています。百瀬フェローとしての研究課題は、リトアニア「人民政府」が共産党一党体制へ移行し、ソ連に編入されていく過程のなかで、彼らがどのように「主体的」にこれに関わったのかというものですが、その成果も踏まえた単著の刊行が期待されます。

 

 

採用にあたっての抱負

 

この度、第2回百瀬フェローに採用していただきまして、大変光栄に存じます。また、審査者の皆様に厚く御礼申し上げます。

 

私はこれまで、リトアニアのナショナリズム運動の歴史や現代リトアニアにおける歴史記憶の問題などに取り組んでまいりました。博士論文では、第二次大戦期にソヴェトと対抗すべくナチ・ドイツと協力したリトアニア人勢力の政治思想などについて、その形成過程を両大戦間期に遡って考察いたしました。

 

今回の百瀬フェローシップでの研究では、ほぼ同時期にソヴェト政府と協力したリトアニア「人民政府」に関する研究を行う所存です。ナチ・ドイツと協力した勢力とソヴェト政府と協力した勢力——両者の立場は正反対であったように思えますが、実際の関係はより複雑でした。1940年6月、リトアニアがソヴェト政府からの最後通牒を受け入れたことで体制転換が起こります。その際、表向きには、それまでの権威主義体制がリトアニアの人民の手によって倒されたこととされたため、体制転換後に成立した「人民政府」には共産主義者以外にもさまざまな立場の者が加わりました。したがって、「人民政府」の内部には、リトアニアのソヴェト体制への移行に否定的な者もいたのです。しかし彼らは、ソヴェト政府の圧倒的な力を前になすすべもなく、リトアニアでソヴェト化が進み最終的にソヴェト連邦に編入される過程で、国外へと逃れる者も多くいました。そして、その一部が、ソヴェトに抵抗しナチ・ドイツと協力しながらリトアニアの独立を回復しようと活動していた亡命勢力に加わることになります。

 

 

本研究では、「人民政府」における非共産主義者がソヴェト連邦編入を阻止するためにどのような新国家構想を描き、リトアニア人共産主義者やソヴェト政府とどのような関係をもっていたのかについて、調査を行います。そのなかで、リトアニアが大国のリアルポリティークに飲み込まれようとしていた当時、彼らがどのようにして自国の権益を守ろうと動いていたのか(そしてそれに失敗したのか)が明らかになるでしょう。そこから、百瀬宏先生がこれまで取り組んでこられた小国研究につながるような論点も見えてくるのではないかと考えております。この1年間、百瀬フェローの名に恥じぬ研究を行う所存です。どうぞよろしくお願いいたします。

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