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2017.07.04

「内なる境界(ボーダー)/外なる境界(ボーダー)」開催報告記

去る6月24日(土)、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター大会議室において、境界研究ニット(UBRJ)と科研費「ポスト冷戦期におけるユーラシアの資源問題と境界領域をめぐる新しい国際関係」との共催で、シンポジウム「内なる境界( ボーダー ) /外なる境界( ボーダー ) 」が開催された。まず上原良子(フェリス女学院大学)より、本シンポジウムの趣旨説明があり、ボーダースタディーズを接点とした研究の相互交流を深めていきたいとの挨拶があった。

第一報告は、日臺健雄(和光大学経済経営学部)による「経済制裁によるボーダーの変化―ロシアの対外経済関係を中心に」と題する報告であった。本報告では,クリミア編入後のロシアに課された経済制裁によって生じたロシアの対外経済関係の変化を題材にとり,ボーダーの変化を経済面から考察した。ロシアは経済制裁に対抗して欧米からの農産物輸入を禁止し輸入代替化を図っているが、そこでは「経済的主権」の確立が意図されている。また、制裁を奇貨として農業だけでなく製造業の振興策が打ち出され、98年金融危機後のルーブル暴落に伴う輸入代替化の過程とは異なり,国家主導の積極的な産業政策が展開されている。上記の過程では,WTO加盟後にみられた経済面での「国境(ボーダー)の敷居の低下」に逆行する動きがみられるとした。

第二報告は、天野尚樹(山形大学人文社会科学部)による「ボーダーアイランドの比較史―樺太と沖縄、あるいは、ボーダーの不安をめぐって」であった。本報告は、帝国日本のボーダーに定位された島である樺太と沖縄は、法制上は本土並みの地位を得ていたが、ともに地上戦の舞台となり、敗戦の過程で本土から切り捨てられた。その理由として、第一に、江戸から明治初年の段階ですでに外圧を避けるために切り捨てられた経験があること、第二に、帝国日本の北進/南進への飛び石とされたこと、第三に、帝国広域経済において他の外地資源との比較劣位から経済的にも切り捨てられたこと、という両島共通の要因を指摘した。

最後に、上原良子(フェリス女学院大学)より「国民国家の辺境からEUのゲートウェイへ―リールとマルセイユ」と題する報告が行われた。この報告では、フランスの国境地帯に位置するリールとマルセイユの改革の比較考察が行われた。リールは脱工業化による苦境を脱するために、ロンドンおよびブリュッセルへとつながる高速鉄道の敷設と都市開発を進めた。脱植民地化と失業問題に悩むマルセイユは、「EU」と「地中海」をキーワードに、港湾の近代化と都市開発を連動させ、アジア・アフリカとの物流拠点を目指した。これらの改革により、二都市はフランスの辺境からヨーロッパの交通の要衝、ゲートウェイへと脱皮したと論じた。

報告に引き続いて、コメンテーターである川久保文紀(中央学院大学)より、各報告に対して問題提起がなされた。まず、シンポジウムのメインテーマである「境界」を捉える視角や方法について各報告者はどのように考えるのかという総論的なコメントの後に、異なる専門やフィールドからの報告ではあるが、各報告に共通する境界事象の抽出を行えば、日臺報告からは「国境の透過性」、天野報告からは「境界・国境の可変性と空間認識」、そして上原報告からは「境界領域と境界都市」という基本的枠組みが浮かび上がるのではないかと述べた。その上で、日臺報告に対しては、境界の変容をもたらす制裁の実施が国家主権にどのような影響を与えるのか、制裁を行う主体と制裁の形態などについての説明が冒頭にあった方がより分かりやすいのではないかというコメントがなされた。天野報告に対しては、境界研究におけるボーダーアイランドの意味、沖縄研究に比較した北海道移民史の研究の現況、本土の歴史と樺太や沖縄という周辺部の歴史をどのように接続すればよいのかなどについて質問がなされ、上原報告に対しては、境界戦略、境界領域、境界都市などに関する概念的交錯をどのように克服するのか、この報告では取り上げていないEUにおける「国境地域間協力」が、地域における新しい空間形成を論じるときに何らかの示唆を与えるのではないかという問題提起がなされた。

雨の降る土曜日にもかかわらず、多くの市民の方も含め、40名近い参加者があり、盛会裏に終了した。これは、ロシア、樺太、沖縄、そしてフランスと、地域の話題満載の魅力的な企画であったからであると思うが、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの長年にわたる社会に開かれた研究力の確固たる蓄積を垣間見たシンポジウムでもあった。

(川久保文紀)

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