ソ連崩壊以後の国際農産物・食料市場におけるロシアの行動は、ソ連時代には予想もできなかったような劇的な変貌を遂げている。数年にわたる記録的な不作にもかかわらず、ロシアは穀物の輸入を殆どやめてしまった。1997年には久しぶりに生産がソ連時代に近い水準に回復したが、「余剰穀物」が大量に発生し1000万トン以上を輸出しようとしたと言われている(実際にはその3分の1しか売れず、残りは在庫として国内に残された)。
しかし、ロシアの食料の輸入依存はむしろ逆に高まっている。ソ連時代の1980年代後半には輸入の15〜16%を農産物・食料品が占めていたが、現在では25〜28%にまでその割合は上昇している。穀物輸入が減少した代わりに他の食料品の輸入が大幅に増えたのである。1997年のロシアの食料輸入は 137億ドルに達した。ロシアの食料品市場は輸入品があふれており、輸入食料なしにはロシア人の食生活は成り立たなくなった。
輸入食料の中でも特に目立つのは畜産物である。特に鶏肉の輸入は10倍以上増大し、100万トンをはるかに超えて世界最大の鶏肉輸入国となった。そのおかげで、ロシア国内の養鶏農場は壊滅状態にある。
何故、こうした極端な変化が短期間に生じたのであろうか?本論は、ロシアにおける畜産物の需要と輸入の問題を中心的にとりあげ、こうした現象の背景を分析・解明することを目的とする。畜産物について中心的に論ずる理由は、それが体制転換前後で最もドラスティックに変化した食料品目であり、ロシアの食料問題全体を考える上でも最も重要な鍵を握っているものと考えられるからである(たとえばロシアの穀物問題を規定している最大の要因は畜産物の市場である)。
食料市場は供給(国内生産と輸入)と需要の間の相互関係として見なければならないが、本論文では需要と輸入の問題を中心的に分析する。その理由は次の点にある。
体制転換後のロシアの食料市場で規定的な役割を演ずるようになったのは、需要と輸入である。国内生産の方は、むしろ需要や輸入の動きによって影響を受ける受動的なものに変わった。ソ連時代には、食料市場における能動的規定要因は国内生産であって、消費量や輸入量は国内生産の量によって決まる受動的な変量だった。関係が逆転したのである。ソ連時代の食料問題の分析の中心は生産の問題であり需要や輸入の分析は副次的にしか扱われなかったが、現在では需要や輸入の問題に十分な関心を払わなければならない。しかるに、ロシアの農業・食料問題の現状分析は、現在でもソ連時代の伝統を引きずっていて、どちらかというと生産論に偏っている。筆者自身もこれまでは生産面の問題を中心的に論じてきた(1)。本論文は、こうしたアンバランスを是正し、新しい時代に応じた分析を行なうという意味を持っている。
また、これらの問題の分析は、同時にロシア国内の農業、特に畜産について今後の展望を考える手がかりを与えるものでもある。
いうまでもなく、畜産物に対する需要の回復および国内の畜産業の復興の可能性は、ロシアのマクロ経済全体の改善と国民の実質所得の増大によって決まる。しかし、かりに経済全体が回復・発展に向かい始めたとしても自動的にロシア国内の畜産がかつての水準に戻るとは限らない。大きくいえば、二つの点が畜産回復の鍵をにぎるだろう。
第一に、マクロ経済の回復、実質所得の上昇にともない、畜産物に対する総需要がどれだけ増えるのか。ソ連時代の水準にまで畜産物の需要が回復するかどうか。
第二に、畜産物に対する需要が増えた場合、追加的需要がどれだけ国産品に向かうのか。国産の畜産物が輸入品との競争の中で、市場のシェアをどれだけ確保できるのか。
このような意味で、ロシアの農業・畜産の将来を展望するには、需要の分析と輸入の問題の分析が不可欠になるのである。
最初に、ロシアにおける食料消費がソ連崩壊後の7年間にどのように推移してきたかを見ることにする。
表1は主要な食料品について1人当たりの消費量の推移を示したものである。1人当たりの食料消費の統計データには、表でみるようにマクロの食料需給バランスから計算したものと、家計調査データから計算したものの2系統が存在する。どちらが信頼に値するデータであるかという議論は別にして、1990年以降の食料消費の動きにおいては両者は大体において一致している。
この表から第一に確認できることは、食料品の中で畜産物の消費落ち込みが特に大きくなっているということである。いずれも1990年に比べ30〜45%も低下している(2)。
これに対し、パンの消費は殆ど減少しておらず、ジャガイモの場合はむしろかなり増大している。また野菜や果物の消費は減りはしたが、減少の程度は比較的小さいものにとどまっている。
無論、これらの事実は何ら驚くことではないだろう。パンやジャガイモはロシアでは主食であり、所得や価格が変化してもその消費は安定的で大きな影響を受けにくい。これらの食品はソ連時代の1980年代にはその消費量が年々減少していたものであり、いわゆる「劣等財」に転化していたと考えられる。したがって、実質所得が急速に低下し始めると逆にその消費が増えるというのも当然の動きといえよう。またロシアなど旧ソ連諸国では、都市住民の場合でさえジャガイモや野菜・果物などは自給部分(自分の菜園から)が多くなっているので、価格や所得の影響を一層受け難くなっている。これに対し畜産物は、農村住民を除けば自給が困難であり、所得や価格に対する弾性値が相対的に大きく、これらの変化に影響されやすい。
(2) 消費者の購買力
価格が自由に変動する市場において消費者の購買力を規定するのは、主として価格と所得の2つの要因である。1992年に食料品の価格自由化が行われたロシアでは、基本的にこの2つの変数が消費者の食料品購買力を規定することになった。
表2は、ロシア国民一人当たりの平均月収によって購入できる食品量の時系列変化を示したものである。この指標は、家計の購買力を規定する所得要因と価格要因の両方を総合的にとらえることができる。この表から次のような動きが確認されるだろう。
(i)1991-1992年:価格自由化の衝撃
1991〜92年に大部分の品目について30〜60%もの急激な購買力の低下が起きている。これは、1991-1992年に行われた価格改定の影響であり、特に1992年1月に行われた価格自由化と畜産物価格補助金の廃止が消費者の購買力の劇的な低下をもたらした。ただし、家計の購買力が急激に落ち込んだといっても1980年当時の水準に戻ったに過ぎないと見ることもできる。その意味で、1992年におきた「ショック」は、1980年代の政策の結果生じた、購買力と供給のギャップ(名目賃金がこの時期に大きく上昇したにもかかわらず価格が固定されていたため極端な「モノ不足」が生じた)を短期間で修正するものだったといえよう。
(ii)1993-1994年:肉に関する購買力の一時的な回復
その後、肉についてはむしろ家計の購買力は回復傾向が現れ、1980年代の半ばのペレストロイカ直前の水準に戻った。この時期に、肉の消費者価格が一般物価や賃金の上昇テンポに比べ相対的に緩やかにしか上昇しなかったためである。
肉の価格上昇率が相対的に緩やかになったのは、改革によって肉の生産効率がいくらか改善されコストの上昇が抑えられた結果ではない。むしろ、肉生産のコストは一般物価上昇率を上回って高騰していた。表3は価格自由化以降の畜産物の農場段階のコストと生産者価格、小売価格の指数を比較したものであるが、1993〜1995年の期間は価格の上昇率に比べてコストの上昇がはるかに大きい(あるいはコストの上昇に比べて価格の上昇率が低い)。このような価格とコストの大きなギャップは、農業企業が加工企業に対して生産コストを大幅に下回る価格で売却するという形で「吸収」された。
後で見るように、この頃からロシアの肉市場に安価な輸入品が流入し始めるが、肉の価格の相対的な安定(コストと価格の乖離現象)は、こうした輸入品の圧力に関連しているものと解釈される。
(iii) 牛乳に対する購買力の低下
肉の価格が相対的に安定化した時期においても、牛乳(飲用の市乳)については家計の購買力はさらに低下を続けた。現在では牛乳に対する購買力は1990年当時に比べ 3分の1程度となってしまっている。牛乳はその商品特性から輸入圧力はずっと小さくなるので、国内の生産コスト上昇分を消費者価格に転化しやすい。また、畜産物の中で牛乳はより必需品的な性格が強いという点も価格上昇率を大きくした原因だろう。実際、牛乳に対する購買力が3分の1に落ち込んでも、ロシアの消費者は牛乳の購入量を3割減らしたに過ぎない。
他方、同じ乳製品でもチーズやバターといった加工品は牛乳と異なり価格上昇率はずっとゆるやかになっている。これらの品目は輸入品の影響が牛乳よりも大きい。また牛乳ほど必需品的性格が強くなく、所得弾性値や価格弾性値がやや大きめ(肉と牛乳の中間と推測される)であることが関連していると思われる。
なお、食料品の中で最も必需性のあるパンについてみると、1993年以降、家計の購買力は低下を続けており、現在では1990年当時の 4割以下となっている。にもかかわらず家計におけるパンの消費量はソ連時代から全く減っておらず、この表から見る限りロシアにおけるパンの所得弾性値や価格弾性値は殆どゼロに近いといえる。
(3)『家計調査』データに基づく畜産物需要関数の推定
畜産物の需要動向をよりよく理解するためには、それらの需要関数のパラメーター、すなわち所得弾性値や価格弾性値についての正確な知識が必要であろう。ロシアの食料品についての需要関数推計は、これまでちゃんとやられてこなかったので、我々はこれについて知識を殆ど持っていない。そこで、ここでは、つい最近になってようやく入手可能になったデータを用いながら独自の需要関数推計を試みることにする。
(i) 過去の計測例
所得と価格を説明変数とする需要関数の分析は、対象となる財が市場で自由に取引されていることを前提とする。ところがソ連時代から、肉などの食料品に関する需要関数の推計作業が一部の西側の研究者によって行われてきた(3)。生産財とは異なり、消費財についてはソ連でも市場が一応機能し、消費者による自由な選択がそれなりに行われるという理解からであった。
これらの推計作業が行ったのは所得弾性値の計算のみであり、価格弾性値は計算困難であった。というのも畜産物などの価格は長い間固定されていたので説明変数としては使えなかったからである。また、クロスセクション・データ(収入階層別の家計調査データ)は未公表であり、したがって西側研究者が入手・利用することはできなかったので、推計はもっぱら所得と消費量に関するマクロのタイムシリーズ・データが用いられた。
また、モスクワの「中央数理経済研究所」のグループなどソ連の一部の学者によっても需要関数の推計作業が行われていたが、その場合は国家統計委員会の保有する家計調査の原データを集計・加工して分析用のクロスセクション・データとして使っていたようである(4)。
しかし、社会主義時代、畜産物については特に「不足」(需給のギャップ)が顕著になっていたので、現実の消費量から求められた推計値は、厳密な意味での需要関数のパラメーターとは言えなかった。つまり消費量は市場経済でのように所得や価格といった変数によって規定されているというよりもむしろ現実の取得可能性によって制約を強く受けていたのであり、現実の消費量から需要関数を計測しても得られたパラメーターは歪んだものにならざるを得なかったのである。
(ii) 使用するデータについて
社会主義が崩壊し価格も自由化された現在では、需要関数計測上のこうした制約は基本的にはなくなったが、タイムシリーズ・データを使った計測はむしろ不可能な状況になっている。というのも、社会主義時代のソ連のデータとロシアの現在のデータを接続して計測用の時系列データとすることは出来ないし、ソ連崩壊後のロシアの時系列データだけでは 6〜7年分しかなく推計作業には量的にまだ不十分だからである。
その代わりに、ロシアの国家統計委員会は、ソ連時代は西側研究者には利用できなかった家計調査の集計データをいくつか出版・公表するようになっている。そのうち、需要関数推計に利用できると考えられるのは、ロシアの地域(連邦構成主体)別に集計されたデータである。というのも、ロシアでは地域格差が比較的大きく、所得水準や価格水準が地域によってかなり異なっているからである。こうした条件のもとでは、1つの地域を1サンプルとしたクロス・セクション分析が可能になる。
しかし、需要関数の推計で本来使われるクロスセクション・データは、所得階層別の集計値であり、地域別の集計データだけでは不十分である。これまで、そうしたデータは入手不可能だったのだが、幸い、ごく最近になって、ようやく使えるようなデータが現れた。それは、ロシア労働省と国家統計委員会の共同プロジェクトにより集計・発表されたロシアの地域(連邦構成主体)別の10段階所得階層別データである。集計作業は1994年の調査から行われているが、1997年の調査データについては上記プロジェクトの中止により集計作業と出版が出来なくなっているという。筆者は既に集計されているもののうち1995年調査分と1996年調査分を入手しており、ここではそれらのうち1995年のデータを利用して需要関数の計測を試みることにした(5)。
ただし、入手したデータには多くの制約がある。たとえば、肉類や乳製品の消費量については、種類別のデータではなく「肉・肉製品」、「牛乳・乳製品」として一括されている。家計調査の原データでは、畜産物の消費量は品目ごとにかなり細かく分けられているのであるが、集計され公刊された資料では「肉・肉製品」、「牛乳・乳製品」という大きな項目にまとめられてしまっているのである。国家統計委員会の担当者に確認したところ、現在までのところ、肉や乳製品の種類別消費量をまとめた資料は一度として公刊されたことがなく、もしそうした資料が必要ならば特別に予算をとって集計作業をする必要があるということであった。したがって、残念ながら分析は「肉・肉製品」、「牛乳・乳製品」という大きな項目のみに限定せざるを得なかった。
このうち特に「牛乳・乳製品」(バターやチーズなどの加工品の消費量は牛乳に換算されて計算される)の場合が問題になる。というのも、前節で見たように牛乳(飲用乳)はロシアではパンの次に必需性の大きい食品であるのに対し、バターやチーズといった乳製品は、肉と牛乳の中間の性格を持ったものと推測され、したがって、ここで推計される弾性値は本来区別すべきカテゴリーのものを混在させた値となってしまうからである。
また、集計データでは農村住民と都市住民が区別されていない。一般にクロスセクションデータに農民と都市住民という異質の集団をいっしょに含めることは危険であるとされているが、ここで使用するデータには両者が混在しているのである。通常、所得の高い階層は都市住民が多く低い階層には農民が多いという偏りがあるので、計測値に歪みが生ずることは避けられない。
(iii) 所得と消費の相関
推計結果を検討するまえに、まずこの所得階層別の家計調査データに基づく実質所得と消費の相関関係を図で見ておくことにする。 図1が「肉・肉製品」の場合であり、図2が「牛乳・乳製品」についてのものである。
「肉・肉製品」の消費と実質所得水準の間には、かなり明瞭な相関があることがこの図から見て取れる。既に述べたように、所得水準の低い階層に農村住民が多く含まれていることを考慮すると相関関係はこの図よりもさらに強いことが推測される。農村住民の場合、多くの家族が自家消費用の豚等を飼養していて名目的な所得が小さくても肉消費が多くなるからである。
「牛乳・乳製品」の場合、図によると相関関係がかなりあいまいになっている。肉の場合と同じ理由で、都市住民と農村住民のデータを分離すれば、より明瞭な相関関係が出るだろうことが推測される。
また、牛乳(市乳)とチーズやバターなどの加工品のデータを分離すれば、後者に関しては消費と所得の間にずっと強い相関があるという結果が出てくるだろう。逆に、牛乳については所得と消費の相関が弱いことを示す図が得られるだろう。
(iv)弾性値の推計結果
表4は弾性値の計算結果である。 (1)が、地域(連邦構成体)別の集計データによる推計で、 (2)が、先に述べた10所得階層別・地域別の集計データを用いた分析結果となっている。
地域別データを用いた計測の結果を見ると、ある程度予想されたことではあるが、決定係数が概して低く、必ずしも良好な推計結果とはなっていない。特に牛乳・乳製品については、地域間の消費量の差を説明するのに、所得や価格を被説明変数とする関数モデルを使うのは、適当でないことが示されている。「肉・肉製品」については、所得弾性値に対する有意性基準が一応クリアされており、推計値として使うことは可能であろう。
一方、所得階層別データによる推計結果を見ると、「肉・肉製品」については、各パラメータ推計量のt値や決定係数の点で比較的良好な推計結果となっていると言えよう。「牛乳・乳製品」については、決定係数がやや小さくなっているが、これは、既に述べたように、飲用乳と牛乳加工品という異なる性格のものを一つの変数にまとめてしまった結果と考えられる。いずれにせよ推計値として利用可能な結果となっている。
また、所得階層別データについては、価格弾性値も計測している。クロス・セクション・データを用いた需要関数の推計では、通常、所得弾性値の計測が中心となる。しかし、ロシアの場合、地域間の価格差が大きく、地域別・所得階層別のデータを用いた計算では価格弾性値の計測も可能になったのである。計測して得られた結果は、価格弾性値についてもt値が基準をクリアしており、推計値として利用できる。
次に推計されたパラメータ値に目を向けると、何よりも注目されるのは、いずれの場合においても、肉の所得弾性値が予想された水準よりかなり小さくなっていることであろう。
ソ連時代の推計では、肉の弾性値は 0.8〜1以上というものが多かったのだが、今回の計算結果では 0.33〜0.36(地域別集計データ)、0.53(所得階層別データ)というかなり小さい値となっている。一方、牛乳・乳製品についても、所得弾性値は低めとなっているが、これは飲用乳という必需品的性格の強いものを含んでいるからであり、チーズなどの加工品の弾性値はこれよりもかなり大きいであろう。
所得弾性値が小さめになったのは、1つにはクロスセクション・データを使った計測であることが関連しているかもしれない。というのも、一般にタイムシリーズ・データによる計測値の方がクロスセクション・データによる計測値よりも大きめになるという傾向が知られているからである。
また、それに加え、この結果を解釈するためには、ロシアの食料消費についての2つの独特な特徴を考慮しなければならないだろう。第一に、購入しないで消費する部分が多いという点がある。日本での農家における食料品の価格弾性値や所得弾性値を計測する際に問題になるのは自給部分の存在である。このことのために、しばしば計測された弾性値が不安定となる。ロシアの家計の場合も同様であり、食料消費における自給部分が非常に高くなっている。農家の場合はもちろん、都市住民の場合も、商店で購入せずに農村の親戚・知人から手に入れたり、職場で特別の支給を受けるケースが多い(このうち職場での現物支給は、ソ連時代に比べると大幅に減ったと思われるが)。
表5は、同じく家計調査によって得られた家計の食料バランスのデータである。肉については平均して消費量の4分の1 は自給生産物によるものであり、牛乳・乳製品の場合は、消費量の3〜4割が自給生産物である。
第二に考慮しなければならないのは、ソ連時代の消費パターンの影響がなお残っているのではないかという点である。ソ連時代には、膨大な価格補助金に支えられて、畜産物に対する需要が過大気味となっていた(6)。それが価格自由化の後でも完全には解消されずに、現在でもなお、社会主義時代以来の消費の「歪み」を直す調整過程が続いている可能性がある。このことを実証するのは非常に難しいが、間接的に示すようなデータは存在する。
(v) 消費パターンの収斂と過渡期における弾性値の低下
表6は、購買力平価に基づいて評価された1人当たりGDPと肉消費量との国際比較データである。対象となっているのは肉食の習慣を持ち、宗教等の食生活への影響が比較的小さいと思われる欧州、北米、南米、オセアニアの国々である。表の中の「残差」は、各国の1人当たりの肉消費のうちGDP水準および肉の代替財である魚消費量の2つの変数によって説明できない部分を示す。すなわち、価格の影響(例えば、生産コストが低く肉の相対価格が安い国では消費量は大目になる)、各国で消費量に影響を与える特殊な社会的・文化的要因や誤差部分(特に購買力平価によるGDP数値が含む誤差)がこの部分に集約されている。
ロシアや東欧など旧社会主義諸国(表の下側の部分)は「残差」がいずれもルーマニアを除いて大幅なプラス値となっており、何らかの理由でGDP水準に比べ肉消費が大きめになっていることがわかる(7)。ロシアや東欧諸国の多くで肉の小売価格は既に自由化されており、消費量を増大させるような価格要因はもはや存在しないと考えられる。従って、「残差」は、購買力平価によるGDP計算の誤差か、あるいは旧社会主義国に共通の社会的・文化的的要因によって説明されねばならない。後者について言えば、最も有力な仮説は、消費行動における「社会主義時代の遺産」という要因である。すなわち、人々の間に社会主義時代からの消費行動が習慣化していて、体制転換・価格自由化後もなかなか改まらずに残っていると解釈できる。
そして、もし、ロシアや東欧で社会主義時代からの残存要素が徐々に消えてゆき消費パターンが次第に西欧型に収斂しつつあるのだとすれば(8)、こうした過渡期における需要の弾性値が低めになるのも明らかである。経済が回復し国民の実質所得が増大するようになっても「残差」が減少していくので肉の消費量はそれほどは大きく伸びないからである。
表7は、東欧各国およびロシアにおけるGDPの成長率と肉消費の変化の関係を示したものである。ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ルーマニアという1991年以降の累積の経済成長がプラスとなっている国々では、肉消費の方は逆に減少している。つまり、所得が増大しても消費が減少するという逆転現象が起きているのである。一方、ブルガリアとロシアという累積の成長率がマイナスとなった国では、肉消費の変化率を成長率で割った平均弾性値が高い値を示している。特にブルガリアでは1.21という非常に高い値となっており、これは所得の減少以上に肉消費の減少が起きたことを意味する。ロシアの場合はブルガリアほど高い弾性値を示していないが、それでも先に計測した需要の所得弾性値に比べてかなり高い値となっている。
以上のデータから、旧社会主義諸国では、依然として、旧体制下の消費パターンを是正する調整プロセスが続いていると解釈できる。ロシアでは、東欧に比べてそうした調整度合いがやや弱いように見えるが、それは、社会主義時代における畜産物の需給ギャップが大きかったことに関連しているかもしれない。つまり、社会主義時代、東欧に比べ供給力が弱く満たされない需要の量が大きかったために、体制転換後、需要は大きく減ったとしても、実際の消費量の減少率は東欧ほど大きくならなかったと考えられる。
(i)畜産物
計測された需要関数のパラメーターのうち所得弾性値は、いくつかの仮定の下で需要の大まかな予測に用いることができる。その場合、弾性値が一定という仮定が置かれるが、説明変数(所得)の累積の増加量が50%を超えるような場合にはこの仮定は妥当でなく、弾性値の低下等を想定しなければならない。また価格も一定であると仮定される。
計測された弾性値に基づいて今後10年間の肉消費の伸びを推計すると、もし10年間の間に年平均2%の実質所得の伸びが実現できれば、価格関係が一定として10年後の1人当たりの肉消費量は1割程度増大し、55〜56キロ程度になる。年平均3%の所得伸び率が実現するならば消費量の増大は17%程度で58キロ程度となるだろう。つまり、ロシアの肉消費は回復するにしてもソ連時代の水準(ピーク時で75キロ)には遠く及ばないであろう。ただし、これは価格要因を考慮していない計算である。もし肉の国際価格が急激に低下し、安価なな輸入品の流入によって国内価格が押し下げられたならば、あるいは国内畜産の生産効率が劇的に改善されて国産肉の実質価格が大きく低下することになれば、消費量がこれよりも増えることもありうる。
牛乳・乳製品については、弾性値が安定していると仮定するならば、実質所得の平均伸び率が2〜4%の場合、10年後の消費水準は、1人当たり年間 250〜270キロ程度という計算になる。所得の平均伸び率が年10%という高成長が10年間続いた場合でも330キロ程度にしかならない。しかも、この場合は弾性値が一定という仮定は全く非現実的となるから消費の伸び率はずっと低めに見積もらなければならない。乳製品の実質価格が大きく低下するという状況が生じない限り、ソ連時代のピークである 386キロという水準を回復する可能性は殆ど考えられないだろう。
この数年間における畜産物需要のドラスティックな減少は過渡期における混乱のための一時的なものであり、経済が復興をとげれば消費は元の水準にかなり近づくと考える者もいるかもしれない。しかし、ここでの推計によれば、そうした考えは幻想に過ぎない。それほど、ソ連時代の消費構造は歪んだものだったのであり、市場経済のメカニズムのもとでは、そうした構造をそのまま復活することは困難である。無論、前節で述べたように社会主義時代に形成された消費パターンは習慣化されている部分があるので簡単には無くならないかもしれないが、ソ連時代のような「過大」に膨れ上がった畜産物消費の状態はもはや再現しないだろう。
(ii)穀物
上に述べた見通しが正しいとするならば、穀物についても、今後、ロシアが元のような大輸入国に戻るという可能性は少ないと判断される。
ロシアの穀物生産は1995年と1996年の2年続けて 7000万トンを割るという記録的な不作に陥った(7000万トンを割ったのは1965年以来であった)。にもかかわらず、ロシアは穀物輸入を殆ど行わずにすませた。1997年は 8000万トン台を回復したが、これも1970年代、1980年代の基準でみると平均を下回る不作であり、ソ連時代ならば輸入が必要になるところである。しかし、実際には、1000万トン以上の「余剰在庫」が発生し、これを外国に輸出しようとしたのである。
こうした状況が生まれたのは、国内の穀物需要の大半を占めていた家畜飼料向け需要が大幅に減ったことによる。ロシアは1990年当時、およそ1億2500万トンの穀物を消費したと推計されているが、そのうち7500万トンが飼料向け、3000万トンが食品加工向けであった。しかし、飼料向けの需要量は現在では4000万トンを割っており、食品加工向けも2000万トンに満たない。したがって、今、ロシアが毎年必要としている穀物の量は多く見積もっても7000万トン台ということになる。仮に国内の畜産業が回復し現在よりも20%生産を増やしたとしても、穀物の必要量はせいぜい500〜600万トン増えるに過ぎず、穀物の年間の必要量は8000〜8500万トンですむだろう。つまり、ロシアの穀物生産がよほどの不作に陥らない限り大量の輸入を再開する可能性は少ないのである。
ただし、これは畜産物の輸入の問題を全く無視した予想である。つまり、ロシアが穀物の輸入をやめることができたのは、穀物加工品とも見なせる畜産物の大量輸入を行っているからだとも言えるからであり、もし畜産物の輸入が大幅に減り、その分を国内生産でまかなうことになれば事情は全く異なるものになるだろう。したがって、ロシアの穀物輸入の可能性についてより正確な議論を行うためには、畜産物の輸入の問題を分析する必要がある。
次に畜産物の輸入の問題を検討することにしよう。本論の冒頭部分でも述べたように、今後、ロシアで経済の回復・成長が始まり畜産物の需要が回復したとしても、それは国内の畜産の回復に結びつくとは限らない。所得の上昇と共に生じた追加的な需要は輸入品でまかなわれるかもしれないし、その場合、ロシア国内の畜産物の生産は回復しないばかりか長期的に低迷ないし衰退していく可能性もあるだろう。こうした可能性を研究するためには、何故この数年ロシアで畜産物輸入が急増したのか、その要因を解明する必要がある。
(1) 畜産物の輸入急増について
表8は、公式統計に基づいたロシアの畜産物輸入のデータである。残念ながら、1992年以前のソ連時代の貿易統計ではロシア単独の輸入統計は含まれていない。したがって、この表からはこの数年の傾向しかわからないが、1994年以降、畜産物の輸入が顕著に増大していることがわかる。既に見たように畜産物の国内消費量はこの時期にむしろ大きく低下をしていたので、消費量の中に占める輸入品の比率は急激に高まることになった。特に肉については、輸入依存度が急速に上昇した。表9で見るように、ソ連崩壊前の1990年には14%程度の輸入依存度だったのが、1997年には40%の水準にまで達している。
牛乳・乳製品については、飲用牛乳のようにその商品特性から大量輸入には向かない商品を含んでいるので、全体としては輸入依存度は10-15%にとどまっている。しかし、バター、チーズのような加工品に関しては、輸入依存率がそれぞれ39%、44%という肉と並ぶ高水準になっている。
(i)原料豚肉
ロシアで肉輸入の急増が最初に話題になったのは、シベリアの加工企業による中国からの安価な原料豚肉の輸入であった。これは1990年頃から始まり、特に増大が著しかった1993年から1994年にかけて輸入量は一挙に3倍にふくれあがった。このような中国産の豚肉流入により、極東などにおける養豚業が壊滅的な影響を受けたといわれる。こうして、1995〜1996年まではロシアにおける原料豚肉の最大の輸入先は中国となり、加工品を除く総輸入量の約3分の1、つまり10万トン前後を占めることになった。
しかし、その後、中国産輸入肉はその劣悪な品質が問題となり輸入の際の検査体制が強められたために、1997年には5万トン台にまで激減した。それに代わって原料豚肉の主要な供給先となっているのは、東欧(ルーマニア、ポーランド、ハンガリー)、旧ソ連諸国(ウクライナ、ベラルーシ)、EU諸国(デンマーク)である。これらの肉はソーセージなどの加工原料用に向けられている。国内豚肉生産の急激な減少と輸入の急増の結果、原料豚肉に占める輸入品の割合は非常に高くなっており、現在では6〜7割に達していると言われる。
(ii)肉加工品の輸入
肉缶詰やソーセージなどの加工品も1993年頃から輸入が急に増えている。たとえば牛肉の缶詰が1993-1995年の間、年間10万トン以上輸入されるようになったが、これは主として中国からのものであり、品質が悪いと評判を落としたおかげで、1996年以降、輸入量は大幅に減少した。
一方、豚肉加工品のソーセージ類は、主としてヨーロッパと米国からの輸入品であり、1992年には1万トンにも満たなかったのが、近年では年間10万トンを超えるようになっている。もっとも、国内生産に対する比率としては、現在でもそれほど高い水準ではない。ロシア国内のソーセージ生産量は、1990年以降の7年間で半減して1997年には115万となっているが、それでも輸入の比率は1割程度に過ぎない。実際、モスクワのような輸入品の比重が極端に高い都市でも、ソーセージに限って言えば、一般の商店に並んでいるものは、国産品の方が多くなっている。
ソーセージで国内品の比率が高いことの説明として、ロシアでしばしば言われるのは、「輸入品は包装など見かけはきれいだが品質が悪い」、「ロシア人の消費者の嗜好には国内品の方が合っている」という点である。すなわち、ソーセージについては、味が輸入品と国内品でかなり異なるとされ、ロシアの消費者は慣れ親しんだ国産品の方を好む傾向にあるというのである(9)。
こうした「愛国主義」的な説明が真実をついているかどうかは別にして、ここで指摘しておかなければならないことは、ソーセージにおける国産比率の高さは、見かけ上のものであって、実際には輸入への依存度は非常に高いという点である。というのは、ソーセージという最終的な製品をつくっているのはロシアの工場であっても、その原料を見ると大部分は輸入肉が使われていて国産の比率は非常に低くなっているからである。
既に述べたように、ソーセージ用の原料肉の6〜7割は輸入肉という統計もあり、また個々の工場の例を見るとその比率はさらに高くなる。たとえば、現在、ロシアのソーセージ・肉製品の最大手メーカーとなっている「チェルキーゾフ肉コンビナート」の場合、使用する原料肉のうちロシア国内産はわずか12〜17%に過ぎないという(10)。
(iii)「ブッシュの腿肉」
畜産物の中で最も急激に輸入が増えたのが鶏肉である。公式統計によると、ロシアで鶏肉の輸入が増大し始めたのは1994年であり、前年に比べ一挙に6.8倍にふくれあがった。鶏肉の輸入はその後も増大を続け、1997年には115万トンという量を記録した。しかも、これは正規に通関手続きを行なった輸入の数値であって、実際量はさらに大きいものになると言われる。鶏肉市場に占める輸入肉のシェアは1993年の5%から4年間で6割にまで達した。ロシアは世界最大の鶏肉輸入国となり、国際市場で取引量に占めるロシアの輸入量の割合は、4割近くにも及んだ。
輸入鶏肉の特徴は、そのほぼ全量が冷蔵・冷凍肉の形で持ち込まれ、加工用ではなく食用として店頭に直接並べられるということである。輸入の中で最も多いタイプが、いわゆる「ブッシュの腿肉」と呼ばれる米国からの冷凍カット肉で、家禽肉輸入全体の58%を占める。米国からの輸入家禽肉全体のシェアは、1991年には34%(12万トン)に過ぎなかったのが、6年後の1997年にはロシア輸入総量の82%(990万トン)に達した。
輸入鶏肉の消費はこのように急激に増大したが、それは必ずしも品質的に国産品に比べてすぐれていたからではなく、消費者も輸入鶏肉を高く評価しているわけではない。むしろ、1995年後半、新聞紙上で米国産の鶏肉の質の悪さや危険性(ホルモンや薬品残留等)が問題にされるようになって以来、ロシアの消費者の間には米国産鶏肉への悪いイメージが定着している。彼らは米国からの輸入鶏肉が、売れ残りの余剰品で6〜7年も冷蔵庫に眠っていた質の悪い製品とみなしていて、「ブッシュの腿肉」という俗称も半ば蔑みのニュアンスが含まれている。
(iv)牛肉
牛肉はソ連時代からかなりの量が輸入されており、1980年代後半のソ連の年平均輸入量は約40万トンである。1992-1996年のロシアの輸入量は60〜65万トンで、ソ連全体とロシア一国の違いを考慮すれば、輸入量は1990年代になって相当増えているように見える。しかし、ソ連の統計には、ソ連内の共和国間の移出入は含まれておらず、他方、1992年以降のロシアの輸入統計には、旧ソ連諸国からの移入量が含まれているから比較は簡単ではない。特にロシアの輸入に占めるウクライナの比重は大きく、1995〜96年には16〜18万トン、1997年には27万トンを超えている。この点を計算に入れると、恐らくロシアの牛肉輸入量+移入量は、ソ連時代と大きな差はないのではないかと推定できる。
ただし、量的には増えていないとしても、ソ連時代と現在では輸入の意味が全く異なっている。ソ連時代には、輸入牛肉は国内の需給ギャップを埋めるものという役割があった。つまり、需要に比べて生産量が「不足」している部分をカバーするものだった。しかし、現在では、需要が大きく落ち込んでいる中で大量の輸入が継続しているのであり、輸入が国内生産を圧迫している。国産牛肉の生産量は、1990-1997年の間に45%も減少し、その結果、輸入依存率は4割前後にまで高まった。
牛肉の輸入先は、ウクライナ以外ではEU諸国からの比重が大きい。特に1997年にEUからの輸入が増え、ドイツ、アイルランド、オランダ、フランス、イタリアなどから合計33万トン以上が輸入された。
(v)乳製品
表8が示すように乳製品のうち輸入が急激に増大したのはチーズである。チーズは旧ソ連時代には、外国から殆ど輸入されずに自給されてきたものであった。1980年代後半の年平均輸入量は、ソ連全体で僅か1万4千トンに過ぎない。しかし、1992〜1997年の間にロシアのチーズ輸入量は8倍に増え、21万トンに達した。
一方、バターの方についていうと、絶対量はそれほど増えているようには見えない。ソ連は、元々、バターの大輸入国だったのであり、1980年代後半には年平均30万トンが輸入されていた。もちろん、これはソ連全体の輸入量で、またソ連内の共和国間の取引量を含んでいないから、現在のロシアの数値と直接、比較することはできないのだが、この数年のロシアのバター平均的な輸入量は、ソ連時代に比べて大きなものとは言えない。
しかし、牛肉の時に述べたように、バターの輸入の意味合いがソ連時代とは大きく異なっている。ソ連時代は国内の「不足」をカバーするための輸入だったが、現在では、需要が落ち込む中で輸入量が以前と同水準を維持しているのであり、国内生産に大きな打撃を与えている。国産バターの生産量はピーク時の3分の1強、32万トン(1997年)にまで落ち込んでいる。
乳製品の多くはEU諸国とニュージーランドからのものである。バターの場合、ニュージーランドからのものが最も多く、1997年のデータではロシアの全輸入量の約半分を占めている。チーズについてはドイツのシェアが急速に拡大しており、1997年には全輸入量の半分がドイツからのものであった。
なお、その他の乳製品(市乳、ヨーグルト類、サワークリーム、カッテージチーズ等)については、国産品の競争力はなお維持されており、輸入品のシェアはバター、チーズほど大きくなっていない。
(2) 輸入増大の背景:価格要因
主な品目について輸入増大の状況について見てきた。鶏肉やチーズのようにソ連時代と比べて絶対量で飛躍的に増えている品目はもちろんのこと、数量的には横ばい気味のバターや牛肉のような品目でも、需要量の落ち込みを考慮すると実質的は輸入が大幅に増えていることに等しい。
次に、こうした輸入増大の背景要因を考察する。結論を先に言うと、畜産物の輸入が急増した直接の原因は価格要因によるものである。すなわち、ロシア国内産の畜産物に比べ輸入品の価格が割安になった結果である。この点について、品目ごとに具体的に検証してみることにする。
(i)鶏肉
まず最初に輸入が最も急激に増えた鶏肉の場合をとりあげよう。輸入肉の価格は、国内製品に比べかなり安い。輸入が急増し始めた1995年において輸入品の価格は国内品の生産コストを既に2割も下回っていたが、その後、内外価格差はさらに急速に拡大し、関税・付加価値税込みでも輸入価格は国内の生産者価格の半分以下という状況になっている。
表10 でみるように鶏肉のドル建ての輸入価格はこの数年低下を続けてきたが、国内品のドル換算価格は毎年大きく上昇しており、そのために内外価格差が上のように異常に大きくなってしまったのである。
価格関係でもう一つ注目すべき側面は、鶏肉の価格が他の肉の価格に比べ割安になってきたことである。かつてソ連時代には、鶏肉の価格は牛肉や豚肉に比べむしろ高かったが(11)、現在では価格関係は逆転した。鶏肉と他の肉の間には消費の上で代替関係にあり、ロシアの消費者は割安になった鶏肉の消費を増やし、他の肉の消費を減らしていると判断される。牛肉や豚肉の消費量がソ連時代に比べ大幅に落ち込んでいるのに対し、ひとり鶏肉のみが消費量をこの数年増やしつづけて、ほぼソ連時代の水準に回復しているのは、こうした背景によるものである。1980年代後半にはロシアの肉消費全体の中で家禽肉の占める割合は18%台であったが、1997年には27%にまで上昇している。
1997年の夏、筆者がモスクワで関係機関に聞き取り調査をした時、農業省など現地の専門家の多くが、米国からの鶏肉輸入が大幅に減るだろうと断言していた。彼らがそう考えた根拠というのは、ロシアの消費者が「ブッシュの腿肉」の品質の悪さに強い不満を持つようになり、国産品の品質の良さに気がつくようになったからだというものだった。
しかし、その後の動きを見るとモスクワの専門家の予想どおりにはならなかった。鶏肉の輸入は減るどころか、1997年の輸入量は逆に前年に比べて6割も増えている。結局、ロシアの消費者が再び国内鶏肉を求めるようになるためには、内外価格差が解消されなければならないことははっきりしている。ロシアの消費者の財布には商品の価格よりも品質の方を重視するほどの余裕はない。
(ii)牛肉と豚肉
牛肉についても、加工企業における輸入原料肉の仕入れ価格は、国内原料の買付価格を下回るようになっており、これが牛肉輸入増大の直接的な背景となっている。加工業者は、価格が高く、供給が不安定なロシア国産牛肉よりも輸入肉を好むようになっている。特にEU諸国からの肉が質も考慮すると最も安価とされている。
一方、豚肉の方はこの5年の間にロシアで最も高い肉となった。1996〜97年の小売価格はキロ 3.2ドル程度で、牛肉価格 (2.7ドル程度) より2割、鶏肉より3割以上高くなっている。このように豚肉の価格が上昇した要因の1つとして英国産牛肉汚染騒ぎの影響もあげられる。欧州での牛肉から豚肉への需要シフトのおかげで1996年の夏までにデンマークなど欧州諸国からの豚肉輸入価格がロシアでも2〜3割上昇した。豚肉の相対的に高い価格のため消費者は代わりにより安い輸入鶏肉を買うようになっている。
しかし、それにもかかわらず豚肉の輸入量は増えている。既に述べたように、輸入豚肉は主としてソーセージ用などの加工原料としてのものであり、国内産原料の価格よりもずっと割安なためにそのシェアを増大させてきたのである。
(iii)乳製品
乳製品についても肉と似たような状況が見られる。1995〜1996年には、国内産バターの卸売価格は、輸入品の卸売価格に比べ、6〜7割も高くなり価格競争力を完全に失っていた。
肉については、ロシアの消費者は価格が安いので輸入品の方を買っているが、品質については必ずしも満足していないと述べた。乳製品に関しても同様のことがいえる。たとえば輸入バターはロシア人の好みに必ずしもあっていないといわれる(12)。にもかかわらず、ロシアの消費者が輸入バターを買うのは、輸入品の方がおいしいからでもなく、きれいに包装されていて安心だからでもない。消費者は食料品の品質よりも価格を重視しているのであり、今のところ、ロシア国産品が輸入品に比べあまりにも割高になっているからである。
(3) 価格競争力は何故失われたのか
以上のように、ロシアで輸入食料品が増大し国産品の消費が減少している主要な原因は価格要因にある。それでは、国産品はなぜ価格競争力を失ったのであろうか? 輸入品に対する国内生産の価格競争力を決めるのは、第一に為替レート(この場合、ルーブルの交換レート)の水準であり、第二に国産品の生産や流通の効率性とコストの変化である。さらにこれに加えて輸入国政府の貿易管理政策(関税の水準や非関税障壁など)や輸出国側の貿易政策といった政策要因も関係してくる。
(i)為替レート
国内畜産物の価格競争力が急速に失われたのは、1993〜1995年であるが、これはルーブルの対ドル・レートの変化と国内の物価上昇率の乖離が大きくなり(インフレ率に比べてルーブルのレートの下落率はずっと小さいものにとどまった)、ルーブルの実質の引き上げが生じた時期と一致する。
ソ連崩壊後の最初の2年間は、ルーブル・レートは明らかに過小評価されていた。購買力平価でみた対ドル・レートと実際の交換レートは、1992年で10倍以上の違いがあったと言われている。しかし、1993〜1997年の間にルーブルはドルに対して実質6.5倍の引上げが行われた(表10)。このルーブルの実質引上げにより、多くの国内産業にとってルーブルの対ドル交換レートは全く「割高」なものになり、輸入品に対する競争力が急速に失なわれた。食品や工業製品について、ルーブルの交換レートの水準があまりにも高すぎるという認識・実感から、1995〜1997年には専門家の間でルーブルの「過大評価」についての指摘が頻繁になされるようになっていた。
もっとも、ルーブルが本当に「過大評価」されるようになったのかどうかについては、意見の別れるところであろう。ロシアは国連統計局による購買力平価計算の国際プロジェクト(ICP)に参加しているが、ICP方式での購買力平価に基づくルーブルの対ドル交換レートと実際の対ドル為替レートとの比率を見ると、1993年のデータでは0.25 ([Rs97] 698)、1996年のデータでは0.43となっている([Ro98] 115)。この数値だけを見ると、1996-1997年の時点においても、ルーブルはなお過小評価されていたという見方も出来る。
しかし、購買力平価の数値をそのまま鵜呑みにすることは出来ない。というのも、購買力平価の正確な計算というものは実際には困難で、多くの誤差が含まれていると考えられるからである。また、発展途上国、低所得国の通貨交換レートは、購買力平価での交換レートに比べかなり低めになるのが普通である。1人当たりGDPが1000ドル以下の低所得国の場合、購買力平価(ICP方式)に基づく自国通貨の対ドル交換レートと実際の対ドル為替レートとの比率は、大半のケースで0.2〜0.3となっており、1人当たりGDPが1000〜5000ドルの中所得国でも0.3〜0.5の範囲におさまる場合が大多数となっている。したがってロシアのルーブル場合も、中所得国の通貨と比較すれば、特に過小評価気味だったとは言えないし、購買力平価水準をもって適正な為替レートとする考えは間違っている(13)。
ところで、大多数の国内産業の競争力を奪ってしまうような「ルーブル高」が生じた背景として指摘しておかなければならないのは、ロシアが巨大な資源輸出国であるという事実である。ルーブルの実質引き上げが続いたにもかかわらず、ロシアの貿易収支は常に毎年、170〜230億ルーブルの黒字を続けていた。言うまでもなく、この貿易黒字を支えてきたのは、石油・ガスを中心にした資源輸出である。豊かな輸出用資源を手にしたおかげで自国通貨のレートが押し上げられ国内の農場や工場が競争力を失う現象は、しばしば「オランダ病」とも呼ばれている。ロシア製の農産物や工業製品が「比較劣位」となって国内市場を輸入品に奪われたのは、まさしくこの「オランダ病」によるものであったと考えられる。
これに加え、1995年以来「コリドール制」(目標相場圏制)を実施してルーブルの対ドル・レートを高めに誘導してきたロシア政府と中央銀行の政策も「割高な」ルーブルを実現するのに一役買っていた。理論的には、これはハイパー・インフレを抑制するための手段であったが、こうした政策は、外国からの短期資本に依存しながらロシア政府が発行する国債で多額の収益をあげていた金融業界の利益に合致するものでもあった。意図はともかく、結果的に言えば、「金融寡頭制」の影響下におかれたロシア政府が、国内の産業を犠牲にしながら、ひたすら金融資本の利益のみをはかってきたということになる。
しかし、周知のように、昨年8月の金融危機により事情は一変することになる。「コリドール制」は放棄され、下がるがままに放置されたルーブルの対ドル・レートは、年末までの4ヶ月間に3分の1から4分の1近くのレベルにまで下落した。ただし、注意しなければならないのは、ルーブルの実質的な引下げ幅はこれよりもずっと小さなものだったということである。というのも、ルーブルの引下げに伴い急激な物価上昇が生じたからである。表10で示されているように、インフレ率(1998年には年率84.4%に達した)を考慮した実質の引下げ率は、2倍程度にとどまっている。すなわち、今回の金融危機のおかげで、農業を含めロシアの国内産業の競争力は、1994年前後の状況に戻ったということになる。
輸入畜産物が急増し始めたのが1994年頃であるから、ロシアの畜産業にとって今回のルーブル引下げは輸入圧力を完全に遮断するものとは言えない。しかし、それでも引下げの効果は既に顕著に現れており、1998年の貿易統計の速報値によれば、肉の輸入量は前年に比べ8割の水準に落ち、バターの輸入量は前年の半分以下にとどまっている([Se98] 165)。
(ii)生産の効率とコスト
ロシアの畜産品が価格競争力を持たないのは、「ルーブル高」の為替レートのせいばかりではない。競争力に影響を与えるもう1つの重要な要素は、生産性、コストであり、ロシアの畜産はこの面で外国の競争者に比べはるかに劣っている。
たとえば、輸入品との競合が特に問題となっている鶏肉の生産コストを見てみよう。表11はロシアと米国の場合を比較したものである。これは1995年末の時点での数値であるが、ロシア産のコストは、当時の為替レートで計算して、米国産のコストの1.6倍以上となっている。一見すると、このコスト格差は単に為替レートに起因するように見えるが、コストの中味を詳しく分析すると、その原因は生産性の差に関連していることが判明する。
鶏肉の場合、コスト差の大半は飼料コストとエネルギー・コストの差によって構成される。飼料コストは飼料価格水準と飼料効率によって決まるが、この表では飼料価格は両国の間でほぼ同じ水準なのに飼料効率が1.7倍もの格差があるためにロシアでの飼料コストが大幅に上回る結果となっている。
飼料効率が低いのはソ連時代からであるが、その時代と大きく異なっているのは、ロシア国内の配合飼料価格がこの数年で大幅に上昇してしまったことである。ソ連時代には配合飼料価格には価格補助が行われていたが、価格自由化と共にそうした補助は無くなった。また、ロシアの配合飼料部門は、『ロスフレボプロドゥクト』等の独占的な穀物取引組織に牛耳られており、これが飼料価格を高くする原因にもなっている。しかも、ロシアの配合飼料は価格が高いのに質が悪いというのが特徴となっている。成分比率が悪く蛋白成分が慢性的に不足しており、また種類が限られているので、成育段階別に異なる成分の飼料を与えるという工夫ができないといわれる。
さらに、ロシアの鶏肉の生産コストが高くなったもう一つの大きな要因は、エネルギー・コストの急激な上昇である。ロシアの養鶏は農業の中でも最もエネルギー集約的な部門であり、米国の鶏肉の場合と比べエネルギー・コストは2.5倍にもなっている。ソ連時代、および改革初期の段階では、ロシア国内のエネルギー価格は非常に低い水準に抑えられていたのでこの問題は顕在化していなかったが、その後、エネルギー価格が急激に上昇し、養鶏のようなエネルギー集約的な生産部門に大きな打撃を与えたのである。
(4) 政府の貿易政策
ロシアの食糧輸入が増大してきたもう1つの要因は、ロシア政府がとってきた貿易政策にある。ソ連崩壊後の1992〜1993年、ロシア政府は輸出を強く制限し輸入を奨励するという政策をとった。これはソ連時代末期の極端な「モノ不足」の時の発想に基づいた措置であり、とにかく商品の「流出」を防いで「流入」を促すことが優先された。また、ロシア政府の中核を担う若いエコノミストたちのネオ・リベラル的な自由貿易信仰も、極端に開放的な対外経済政策がとられる原因となった。こうした政策の結果、特に食糧については、この時期には殆ど無関税で輸入されたばかりか、逆に輸入奨励金が払われた場合さえあった。
輸入急増による国内産業への影響が顕著になった1994年から1995年にかけて、こうした極端な政策は是正され、輸入食料品に対しても一定の関税がかけられることになった。たとえば、乳製品についてみると、1994年7月になって輸入関税が初めて導入されたが、この時の関税率は15%であった。それは国内生産を保護するためには十分な水準ではなく、関税込みでも輸入品の価格を国産品の生産コストが大幅に上回るという状況は解消できなかった。そのため、輸入クオータを導入するという提案が1994年の秋には政府内でも出されていたが、WTO加盟問題があったことにより、結局、その実施は見送られた。代わりに、1995年4月から10%の付加価値税が輸入食料品に課せられるようになり、さらに、1995年7月1日には、バターに対する関税が20%に引き上げられた。ただ、これらも本当に国内生産の保護を目指した措置として行われたのではなく、政府の本音は、ますます厳しくなった財政状態の改善のための税収確保にあったといわれる。
鶏肉については、輸入の増加があまりにも急激で国内生産への打撃も顕著であったから、政府はより強い策をとらざるを得なかった。1994年7月に、初めて15%の輸入関税がかけられたが、それでは不十分なことは明らかだったので、1995年中に30%まで引き上げられた。また、1995年には10%の付加価値税も追加的に課税された。また、輸入業者が税金を低くするために輸入価格を低めに申告しているという判断から、キロ 0.35ECUの最低関税が定められたが、それは実質4割の関税率を意味していた。つまり、付加価値税と合わせると鶏肉に対する関税率は、1995年中に約50%の水準に達したのである。
しかし、この程度の措置では、鶏肉輸入の急増をとめることはできなかった。関税率が輸入を遮断するほど十分高いものでなかったばかりか、それが実際に適用される範囲も限られていたからである。モスクワやサンクト・ペテルブルグといった大都市への食料品輸入に対しては関税が免除されたし、また、多くの「慈善組織」や「非営利組織」(ロシア・スポーツ基金に代表される)が関税なしに食料品を輸入できた。輸入量全体の 4割がこうした組織によるものという評価もあるほどである。その結果、輸入食料品の7割以上は関税がかけられないままロシアに持ち込まれたと言われる。
1995年3月になって、非営利組織による関税なしの輸入を規制しようという大統領令が準備されたが、その本当の動機は保護のためというよりも国の歳入不足の解消だといわれた。この問題は1995年中を通じて議論され、ようやく1995年11月末になって、免税措置を廃止する大統領令が出された(14)。
また、この頃には、保護措置を求めるロビー活動、政府に対する圧力も強まり(たとえば33地域の行政府長官の連名で、ロシアの養鶏産業を保護してほしいという嘆願書が大統領に提出された)、より強硬な措置も検討されたといわれる。ロシアはWTOメンバーではないので輸入クォータ策もとれたが、WTO加盟に熱心なロシア政府にはできなかった。その代わり実施されたのは、衛生面でのチェックによる輸入規制策だった。1996年3月にロシアの家畜衛生局により米国鶏肉の輸入禁止令が出された。理由はサルモネラ菌の検査が不十分であるというものだったが、米国側がこれに猛反発し国際的なスキャンダルとなった。結局、国際機関の圧力によりロシア側が折れ、数週間で事態は収拾され、輸入は継続された。
保護措置については、ロシア国内は賛成論者ばかりではなく、これに強硬に反対する勢力もいることに注意する必要がある。特に大消費地であるモスクワ市とサンクト・ペテルブルグ市は、輸入製品に対する関税引上げやその他の保護措置に対して常に強硬に反対してきた。輸入業者の団体とその背後にいる金融グループも保護措置に反対する強力なロビーを形成していた。
以上のような輸入制限・国内生産保護に関わる政策プロセスを通じて明らかになるのは、次の点である。
第一に、保護措置としての関税という方法の限界である。かりに関税を十分な高さに設定したとしても、自国通貨の実質引上げが行われたり、あるいは、国際価格が下がった場合には、貿易障壁はたちまち機能しなくなるからである。ロシアの場合は、すでにみたようにルーブルの大幅な引上げが行われたし、鶏肉などは輸入価格が1993年から1996年にかけて大幅に低下したので、1994〜95年に設定された関税は保護措置としては殆ど機能しなかった。
第二に、農業ロビーなどの請願活動に対して、ロシア政府は一応、国内生産を保護しようとするポーズをとってきたが、本音は「食料安保論」などには関心を殆ど持っていないように見える。関税や輸入品に対する付加価値税を導入してきたのは、税収の確保が目的であって、その意味で輸入を減少させてしまうような強硬な措置にはむしろ消極的とならざるを得ない。
第三に、WTO加盟問題の制約が予想以上にロシア政府の手をしばっているということである。このことは、1997年の夏、モスクワの農業省と対外経済省を訪れた際に強く感じた。いずれの省においても高官たちは、我々に対して、WTO加盟が最優先の課題であってそれを危うくするようないかなる保護措置もとらないということを明言したからである。対外経済省はともかくとして、農業政策の中心である農業省の指導者たちからこのような発言がなされたことに強い印象を受けたものである。
第四に、ロシア政府の政策は様々なロビー、圧力団体の主張を考慮した妥協の産物であることが多く、その意味で、しばしば極めて中途半端なものにならざるを得ないということである。たとえば、農業ロビーの声を聞きいれて関税を引き上げようとしても、すぐにモスクワやサンクト・ペテルブルグ、あるいはエリツィンの地元であるエカテリンブルグといったところから強い反対の声があがるので、禁止的な水準にまでは引き上げることはできないのである。
ロシア政府の貿易政策を見る際には、以上のような点を考慮して判断する必要があるだろう。
ロシアで改革が始まってから7年以上の歳月がたとうとしている。この間に観察されたことは、構造改革の速度は、結局、外部環境やゲームのルールの急速な変化に適応できるほど速くは決してならないということである。構造の変化は環境やルールが変化し始めてからかなりのタイム・ラグを伴いながら徐々に始まるのである。そのため、環境やルールが急速に変化したときには、旧い生産構造はそれについていくことができず壊滅的な打撃をうけ崩壊していく。
このことはロシアの畜産において特に顕著に見られた。自由化や市場経済のルールへの移行は、社会主義時代の伝統的な畜産従事者である専門経営、国営農場の組織や経営に対して破壊的な打撃を与えたのである。ロシアの政策立案者はこの単純な事実・法則を理解できず、「競争的市場が導入されれば組織や管理は改善される」と安易に考えてしまったのである。
スクラップ・アンド・ビルトが比較的簡単であり、かつ急速にそれを行うような部門についてはそうした政策でもよかったかもしれないが、農業のような部門に対しては、ショックに伴うコストや将来に残る傷痕はずっと大きくなる。政策はもっと慎重であるべきだっただろう。
しかし、ひとたび始まったプロセスは後戻りは出来ない。ロシアの農業および食料生産コンプレクスは、全く新しいルールと構造のもとで再生をはかっていくことになる。その運命は、経済全体の大きな動きとの関連の中で決まっていく。ロシアの畜産の再生は、ロシア経済全体の復興という文脈の中でのみ可能となるだろう。ただし注意しなければならないのは、ロシア経済の「復興」といっても、それは全く新しい質を伴った再生なのであり、畜産についてもソ連時代の旧い構造がそのまま復活するわけにはいかないということである。
本論の需要分析の部分で検証したように、ロシアの経済状態が大幅に改善され比較的高い成長率が実現するようなことがあっても、低下した所得弾性値のせいで、畜産物の需要の回復は限定的にとどまる。10年以上のタームで見ても、ソ連時代の水準にまで復活する可能性は小さい。その上、自由主義的な貿易政策が継続される限り、「比較劣位」にあるロシアの畜産業が輸入品との競争に勝つのは難しい。
ロシアの畜産は、農民などによる零細で自給的な生産部分を除くと、当面はソ連時代に比べ大幅に縮小された形でしか生き残れないだろう。大規模経営で辛うじて生き残る部分も、輸入品との競争圧力の中で合理化や組織の再編が求められることになる。
このように畜産部門は大幅に縮小するだろうが、その代わりに、他の相対的に有利な農業分野が生き残る可能性は残されている。特に穀物生産に関しては、ロシアはかなり大きな輸出ポテンシャルを持っている。かりに畜産業が回復を始め国内向けの穀物需要がそれに応じて増大したとしても、それは限定的なものにとどまるので、ロシアの穀物の輸出余力は中長期的に維持されるだろう(もちろん1998年のような特別に不作の年を除くが)。