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修了者の声 ベクトゥルスノフ・ミルラン(2022年度博士号取得)

大学院での 7 年間

ベクトゥルスノフ・ミルラン(センター非常勤研究員)

 2022 年 9 月 26 日に博士号(学術)を取得しました、クルグズスタン出身のミルランと申します。博士号を取得する夢も予定もありませんでした。1993 年に小学校に入学してから、中学校、高校、大学の学部、修士課程、博士課程を経て 2022 年にやっと「公的教育を受ける」ことを終わりました。「ミルランはいつまで学生を続けるのかな」と、近年親戚や知り合いから色々と心配される声も聞こえていましたので、無事に修了してほっとしているところです。

 2013 年に学部を卒業し、2007 年から働いていたクルグズ共和国国立放送局でのキャリアを続けようと思っていたところ、たまたま日本の文部科学省の奨学金制度に合格してしまったことが分かりました。他の優秀な候補者と比べて日本語のレベルがあまりにも低か ったため、期待していなかったのですが、修士課程の研究計画書が評価されたと、後に言われました。2 年間修士課程でより深い知識を追求しようと思い、2015 年 4 月に北海道大学大学院に入学したわけです。当時一人暮らしの母との約束では留学期間は 2 年間だけだ ったので、博士課程に進む考えもありませんでした。しかし、2 年間の予定は結局博士課程まで続いて、7 年間に延びました。

 厳密に言えば、北海道大学大学院文学研究科の歴史地域文化学専攻に属していた私たちは、自分たちをスラブ・ユーラシア研究センターのものとして意識していました。院生室はセンターの中にあり、一日中センターの中で過ごすことになりますので、文学研究科への所属意識は全くありませんでした。

 当初の院生室はとても賑やかな場所でした。私と同じ時期に修士課程に入学した方々がかなりいましたので、院生室で半分ロシア語、半分日本語で色々と話し合う機会が多くありました。ロシアの思想家イワン・イリインの研究に熱心だった北村宣彦さん、ロシア標準文語の歴史を研究していた佐々木祐也さんたちと仲良くなり、私の下手な日本語を直してもらっていました。

 院生室と言えば、先輩のアセリ・ビタバロヴァさんについての思い出が深いです。カザフ人のアセリさんと私の関心はなんと言っても中央アジア諸国の現代政治でした。タジキスタン、クルグズスタン、カザフスタンと中国の外交を研究していたアセリさんと時々時間を忘れるほど、我々の出身地域でおきていた政治と社会問題について話し合っていました。彼女と話をするのがあまりにも楽しかったので、途中で、研究テーマとして政治を選んだほうがよかったかもと一時的に後悔していたときもありました。

 2014 年 10 月 10 日だったと思います。その前の日に札幌に到着し、翌日の午後 2 時頃に指導教員として私を受け入れてくださった宇山智彦先生と最初の面談でした。当時、私はかなりオープンな性格で、自分が言いたいことがあればはっきり言うタイプの人だったのですが、なぜかその日に宇山先生の研究室に入った途端黙ってしまいました。目の前に座った宇山先生は目を離さずずっとこちらを見極めていました。少し挨拶を交わした後、「どのようなテーマに興味がありますか」と聞かれました。とにかく色々なテーマに関心があることを見せないといけないと思い、なぜか「バルカン諸国の歴史と政治に関心があります」と答えてしまいました。その時に頭の中で色々なことがありましたが、なぜか一番思っていなかったことを言い出してしまった不思議な瞬間でした。自分がどれほど色々な地域と問題に関心があるのかを見せたくて、恰好つけて、中央アジアの専門家の前に来て、バルカン地域の話をして失敗したなぁと、後に自分の中で解釈していました。

 その後、時間をかけて宇山先生と相談した結果、母国クルグズスタンの歴史をやることになりました。スラブ・ユーラシア研究センターは院生の研究を支えるために独自の院生助成制度を設けています。修士課程 2 年目にこの制度を使って、モスクワとビシケクの文書館で現地調査をすることができ、修士論文を執筆する上で重要な史料を収集してきました。修士論文を書いていて、誰かの解釈を通して過去の出来事を見るのではなく、その出来事に直接に触れられたことに感動していた日々を今も覚えています。修士論文ではソヴ ィエト・クルグズスタンの形成を、当時のクルグズ人の政治・文化エリートを中心に整理しました。

 修論を書いていた時期に自分のことを初めて「研究者」として意識し始めました。修了するのか分からないまま、とりあえず博士課程に進学してみることを決めました。もらっていた奨学金をまた 3 年間延長することができたので、それもこの判断に大きく影響しました。

 博士課程の生活は、責任の重さや目の前にある課題からすれば、社会人の生活とほぼ変わりありません。とりあえず研究業績(論文投稿と学会発表)を作るのに必死です。夏休みや冬休みという感覚もありません。少なくとも私の場合はそうでした。修士課程の 2 年目に上の娘が生まれましたので、娘が 3歳になるまでに私も博士論文を完成させようと甘く考えていました。

 スラブ・ユーラシア研究センターのいいところは、研究施設としてすべての教材と機械が揃っているという点にあります。いつか母国に帰る時に運ぶのに困るのでと思って、敢えて紙媒体で本を集めていませんでした。図書館から借りてきて、センターの 2 階の情報機器室でスキャンしていました。昼ご飯を食べた後に眠くなるので、昼食後必ず 2 階のコピー機の隣に立っていました。「こんなに賢いスキャナーはないだろう」と思いつつ(印刷とスキャンを同時にできるので他の人の邪魔にならなかったからです)、30 分で 200 頁の本をスキャンできるスピードまで到達していました。文献は、附属図書館の 1 階にあるスラブコレクションから借りてきていました。ビシケクでも簡単に手に入らないような文献が目の前に並んでいて、最初は不思議な気がしていました。今までにこのコレクションの蓄積に貢献してきた前の世代の先生方に深く感謝したいと思います。中央アジアの社会・歴史・文化に関する重要な文献と一次資料が揃っていて、中央アジアの研究者にとって完璧な環境です。

 一番驚いたのは、スラブ・ユーラシア研究センターの図書室のマイクロフィルムをコピ ーできる機械でした。帝政ロシアやソ連初期の新聞と雑誌などがマイクロフィルムで保存されており、100 年以上前の資料を見たければ、欲しいテキストを見つけて、ワン・クリックで紙に印刷し、読めるという仕組みです。モスクワのロシア国立社会政治史文書館(RGASPI)で作業した際に、道具が壊れていたのでマイクロフィルムをペンで前と後ろに回し、料金が高くてコピーもスキャンもできない状況で、一日中ずっと手で書いていたことと比べて、センターの図書室はパラダイスのような施設だと思います。

 スラブ・ユーラシア研究センターは研究施設として優れていることがよく知られていることですが、研究施設はその中にある研究コレクションや機械などだけでは測れません。この 7 年間センターで働くプロの人たちに囲まれて、支えられてきた私はこのような運命を、何をして勝ち取ったのかと、いまだに疑問に思うことがあります。まずは、事務室の方々に頭を下げて感謝します。分からないことがあったらいつも教えていただける中嶋さん、編集室のアルバイトをしていた時に頼りになった亀田さん、私の海外調査の手続きをいつも助けていただいた坂口さんに感謝します。“Все будет хорошо”(大丈夫、すべてうまくいくんだ!)と書かれた編集室の大須賀さんの T シャツを見るたびに元気をもらっていました。大須賀さんは近年体調不良が続いているのですが、“Все будет хорошо” と伝えて、感謝したいと思います。

 そして、私の研究活動を最初から見守っていただいて、いつもインスピレーションを与えてくださった長縄先生に感謝します。実は、私の歴史への本当の興味は長縄先生のゼミで生まれたと言って過言ではありません。前期・後期でロシア帝国について有名な話題作を中心に、丁寧に、じっくり議論する長縄先生のゼミは永遠に印象に残ると思います。

 最後に、指導教員の宇山先生に対して単に「ありがとうございました」と言っても足りない気がします。勝手な解釈かもしれませんが、この 7 年間同じ屋根の下で宇山先生の学問への忠誠心と真実への絶えざる追求心を見てきたからこそ、その経験から力とモチベーションを得て、私も博士論文の最後まで歩むことができたと思っています。宇山先生と一緒に研究できたことは私にとって貴重な経験でした。この場を借りて、心の底からお礼を申し上げます。

(2022年11月3日)


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